2010年12月2日木曜日

時の移ろい                                      

このところ、尖閣諸島や北方四島に関する領有権の問題で、日本の外交手腕が問われている。沖縄普天間基地問題で、アメリカにソッポを向かれている民主党政権の弱点を付いてきた格好だ。戦後60年間平和ボケしてきた国民が、冷や水を浴びせられて、少し我に返りつつある。

 これまで、中国はかつて鄧小平の掲げた、「発展こそが絶対な道理」と唱えて資本主義市場経済への全面転向を呼び掛けた。「能ある鷹は、爪を隠せ」の方針で、ひたすら米国・日本とも友好関係を装い、ODAなどの経済支援をタップリ享受し、お陰でまもなく日本を抜いて、世界第二位の経済大国になるという。

 一方中国の共産党一党独裁は、国内的にはチベット等でも人権問題が続いており、厳しい言論統制が敷かれている。ツイッターも使えるが、全て当局の監視下にあり、何らかの行動を起こす危険性があれば、すぐに拘束される。

 また、東シナ海からインド洋まで海上権益を広げており、インドネシアなどとも紛争が絶えない。中国は、際限ない覇権政策を採ろうとしているように見える。

 さらに北朝鮮との軍事同盟や、軍事国家ミャンマーへの後方支援で、欧米との対立を深めている。一党独裁国家連合と民主主義国家との冷戦が、ついに始まったように思える。戦争は二度としたくはないが、尖閣諸島や沖縄が狙われているいま、アメリカ頼みだけではなく、真の独立国家として発言し実行し覚悟しなければ、国民の権益や幸福は守れない。





 話が重くなったので、話題を変えて穏やかな話を・・・

私が良く拝見する「気がつけば82歳」というブログがある。

私の両親と同年配の女性が、日々の生活や昔の思い出を淡々と記録し、同時に自作の絵画や写真を挿入している。

『この歳になって今想うこと、薄れゆく過去の情景など思いつくままに書いておきたくなりました』

というのが、ブログを書く理由だ。

生きてきたことの意味を誰かに伝えたい、と思う気持ちは良く理解できる。

両親や祖父母がどのような時代に、どのように生きてきたのかを、子供たちは知りたい。

核家族化が進み、両親や祖父母との会話の時間が非常に少なくなっている現代では、

このブログは、おじいちゃん、おばあちゃんとの縁側での昔話の趣がある。

皆さんにも是非、素敵なエッセイと絵画を楽しんでいただきたいと思います。アドレスは下記。

http://thoughts.asablo.jp/blog/

2010年10月21日木曜日

「感謝・感動・感涙」企業

昨日、株式会社ハローディの加治敬通社長の講演を聞いた。18期連続増収増益企業ということで、日本一視察の多いスーパーとして、有名だそうだ。「感謝・感動・感涙」を企業理念として掲げ、
人は何の為に働き、何のために生きているのかといった、根源的なテーマで毎年8000万の研修費を遣い、非正規社員を含む2000人の社員の研修を行っている。
お店は、全て店長からアルバイトにいたるまで、顧客サービス(満足)を徹底する為、現場の知恵を引き出す仕組みを作っている。年間15000通の顧客からのクレームや要望を全店で共有し、全てに対して対案を考える。マイナス思考(暗病反)の言葉は一切口にせず、プラス思考(明元素)の言葉で、褒める、激励する、握手することが、社員のやる気を生み出し、自発的な行動で顧客満足や作業効率の向上に繋がっているという。社員・非正規社員は、給与の多寡よりも、自分の活動を評価され褒められることで、とてもやりがいを感じているという。人は何の為に働くのか。「自分自身の活動が、喜ばれ、感謝され、認められる」その使命感を確認できたからこそ、働く意欲が湧くのです。
とても素晴らしい講演でした。

2010年10月1日金曜日

ガキ大将

 昔私が小さい頃(50年位前)は、何処にでもガキ大将がいて、子供たちの遊びの仕切り役をしていた。
最近の遊びは、屋内での、漫画やゲームが多く、野外での遊びが少ないため、ガキ大将は不要なのだ。逆に少し変わった子供や、ガキ大将的子供は敬遠される。”皆と仲良く遊ぶ”ことが重要で、違った意見や、行動は子供も、先生も、親も喜ばない。従って、平素したことのない喧嘩などやろうものなら、手加減がわからず、殺人まで引き起こしかねない。いじめによる、自殺や引きこもりも非常に多いと聞く。子供の頃からの些細な諍いや、喧嘩で鍛えられるべきものが、鍛えられていない為だ。リーダ的なことを試みると小学高学年や中学ではいじめがあるという。ガキ大将は不要なのだ。その結果、新たな試みや活動が封殺され、活気のない学校となり、若いエネルギーが負のベクトルに向かう。子供たちが変わったのではなく、私たち親の世代が、憂慮すべき環境を作ったことをまず反省しなければならない。

 

2010年9月27日月曜日

大器晩成

 今話題の、池上彰氏の「ニュースの読み方使い方」を読んでいる。
池上氏は、NHK入局後記者などを経て、NHK退職後はフリーのニュース解説として、テレビ出演や作家活動を始め、今やその解説の判り易さで引っ張りだこの人気だ。
氏は、NHK在任時代から、本は年間300冊近く読み、新聞も数誌取って、切抜きをジャンル分けして情報の整理をしていたそうだ。長年の読書や情報収集が、定年後の財産となり今の活躍になっている。
 世の中には、このように大器晩成型の人が少なからずいる。
「バカの壁」で大ヒットした、養老孟司氏や、「国家の品格」の藤原正彦氏も50歳を越えて、メジャーデビューした.
まさに、ローマは一日にして成らず。日々の精進が晩年に報われたのだと思う。

2010年9月15日水曜日

メタボ対策

 当社の所属する健康保険組合でも、高齢者医療費や三大成人病(癌、脳卒中、心筋梗塞)の医療費が増加しており、このままでは現行の保険料の料率では、不足しかねないとの予想がある。
その為、三大成人病の、原因となりうるメタボの撲滅をスローガンに、厚生省、各健保組合などが
一丸となって、メタボ対象者や予備軍に対し、指導医が個別に改善のプログラムを示し、半年後の結果を報告することになった。
 私の場合、体重1kg、腹測5㎜のオーバーなので、予備軍扱いだが、指導医からの指示は、週3日のアルコール断、体重計、万歩計による計測、腹筋運動などを6ヶ月続けるというもの。
男性は特に論理的思考が強い為、体重計や万歩計で、日々測定することで、目標へのモチベーションが上がるとの、指導医の説明。
私自身、大した減量でもないので、高を括っているが、半年の間週3日のアルコール断は、極めて自信がないし、ましてや毎日2回の体重計測定など空恐ろしい。
健保組合の幹事会社としてのミッションが、行動継続の原動力か。

2010年8月26日木曜日

政治空白

小沢一郎が民主党代表選に立候補し、菅首相との一騎打ちが決定した。
まさに民主党を二分する戦いになりそうだ。その後いずれかが負けるのだから、その処遇を巡ってひと悶着あり、結局分裂して、自民党や新政党との連携を模索するのだろうか。
いい加減国民はこのような不毛な政治ショーは見たくもない。
喫緊の課題は円高(84円)や株安(8900円割れ)による、経済の再地盤沈下対策だ。
政治空白が招くマイナスは計り知れない。
国民は今の政治家の言動をしっかり見て、選挙で民意を表すしかない。

2010年8月12日木曜日

帰省

長女と孫が2人(4歳、9ヶ月)が帰省して1ヶ月いた。4歳ともなると悪戯も確信犯になる。
怒っても、注意しても平気で繰り返す。まあ、剣道で言えば何処まで突っ込めばやられるか
試しているようなものだ。憎めない可愛さだが、1ヶ月もいるとくたびれる。
9ヶ月は、何度も夏風邪をひいた。デリケートだ。
5歳と1歳の子供を放置して、衰弱死させた母親が逮捕のニュースが流れる。
信頼しきっている子供の目を、どんな思いで見返していたのだろうか。

2010年8月2日月曜日

般若心経

会社創業20年が経過し、いよいよ21年目に入る。
創業25年で、私自身は一線から身を引きたいと思っている。
これからの5年を経営者としての最終章にしたい。
昨年から始めた、地域活性研究会は、かなり軌道に乗りつつある。
完全なボランティアだが、将来的には地域活性のシンクタンク的な
活動が出来ればと思っている。
ところで、今61歳だが、平均寿命の85歳まで生きるとして、残り24年。
「死ぬまでにやりたいこと」を整理するつもりで、10個くらい書き出そうとしたが、
まるで出てこない。夢が無くなったのか、億劫になったのか。
まだ、般若心経に現を抜かす年ではないと思うのだが・・・。

2010年7月28日水曜日

変化を楽しもう

次年度のテーマを「変化を楽しもう」とした。
世の中の変化は凄まじい。
特にIT業界のここ30年の変化は、驚愕するほどだ。
過去の技術・ノウハウが役立つことは限られる。
技術的ノウハウでも、業務知識や、マネージメントスキル
コミュニケーションスキル、プレゼンテーションスキルなどは
コアスキルとして時代に関係なく、活用できる。
プログラム言語や開発ツール、機器インターフェースや
新たなメディアへの対応などは、常に最新の対応が必要だ。
何処の職場でも、概ね誰でも変化は面倒でやりたくない。
それで済めば良いが、変化に対応しなければ生き残れないのが
ダーウインの進化論でも言われていることだ。
で、あれば進んで変化を先取りし、楽しんでやったほうがよいのではないか。

孫三昧

7月17日夏休みと同時に、東京にいる長女と孫4歳、8ヶ月が帰ってきた。
次男夫婦と孫9ヶ月は、同居しているので、合計8人家族の賑やかさになった。
それにしても、よく泣き、よく笑い、よく動くなー。
赤ん坊のアイコンタクトにはすごい感性があることに気がついた。
こちらの眼の動きを一時も見逃さない。
期待とある種の不安を、その眼から読み取ろうとしている。
若いお母さんが、テレビや携帯に夢中になり、授乳や食事のときに
赤ん坊を見ないことがあるようだが、これはいただけない。
三つ子の魂百までというが、目を合わせ微笑むことがどれだけ
赤ん坊の心を癒すことか。

2010年7月21日水曜日

大学講義

39年も社会で働いていると、その経験を学生に話してくれという依頼があり、


2010年6月は九州産業大学経営学部と九州大学工学部からオファーがあった。

最近、ソフトウエア産業の人気も凋落気味だし、最近の学生も何となくおとなしい感じがするので、

業界の宣伝(ソフトウエア開発の面白さ)と、勢いのなくなった「ベンチャービジネスへの挑戦」の復活を学生に少しでも理解してもらえたらと、引き受けました。

下記URLはその時のスピーチ
http://www.ustream.tv/recorded/7987269

選挙 

選挙                           2010.7.13


参議院選挙が終わり、政権与党の民主党が過半数割れとなりました。昨年鳩山政権が発足したときの、過剰な期待が一気にしぼみ、現実路線を志向する菅政権の政策が、自民党政策との違いを明確に出来なかったことが、過半数割れの要因の様に思われます。

このような結果をみて思うのは、我々国民は政権交代すれば、現状打破できるのではないかという、他人任せの安易な選択をしているのではないかということです。政権が変わって半年程度で世の中が大きく変わるわけはない。選挙で選んだ人を信頼し、ある程度の期間は忍耐強く見守ることも大切ではないかと思います。

今の日本は、長引く不況による賃金の低下、失業率の増大、就職率の低下など経済環境が著しく悪化しています。また、構造的(人口構成)社会不況などで年金受給額の低下も将来への不安材料となっています。

戦後60年の経済復興の成功体験を、再び政治に期待すべきではないのではないかと思います。古来より国家の盛衰にはそれなりの理由がありますが、現在の日本が既に老齢期に差し掛かっており、老齢期には其の体力に応じた対処があるように思います。

1. 大きくなった議会、公務員を大幅に縮小する

2. 日本文化を再認識し、国民の自信を取り戻す

3. 教育を重視し、人間的、知性的、技術的に高い人材を育成する。

4. 食と医療に関する産業を育成する(生きる為の必要産業)

5. 「足るを知る」飽食や贅沢を慎む

この様なことをいうと、右翼的に思われるかもしれませんが、戦後失われたが、日本人が持っていた素晴らしい国民性を、この機会に是非取り戻したいものだと思います。

 私は、昨年2月から「地域活性研究会」という会を個人的に創立し、10名程度で毎月討議しています。

第一次産業の衰退、田畑の荒廃、シャター街と化した地方都市。老人ばかりとなった田舎の老老介護、子供を生みたくても生めない現状など、地方の崩壊が進んでいます。また、都市圏でも大型団地の老化世帯で孤独死などが報道されます。

このような現状に対して、何か出来ないかと思い、オフタイムに異業種の方々と討議している研究会です。テーマは、「三世代暮らせる町づくり」です。

 その研究会で、最近農業の方数人と話す機会がありました。30代で非常に元気です。年収は250万だけど、付加価値の高い野菜作りで生き生きとしています。もう一人の農民は、4人のアルバイトを雇い農業だけで生計を立てています。彼の目標は、「農家は食うだけでは駄目だ、文化を通して生きがいを感じるような農業にしたい」と意気軒昂です。

日本の農業や若者は既に変化し始めています。大変元気付けられます。

ケネディ大統領が、就任演説で「国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えてほしい」と訴えたことは有名です。

私たちも、政治家や自治体、会社や家族が何をしてくれるかではなく、私たちは何が出来るかをもっと考える必要がありそうです。

市場原理主義

市場原理主義                    2010.5.25


2001年~2006年の小泉政権の中で、竹中平蔵金融相が打ち出した、規制緩和や新自由主義は、アメリカシカゴ大学のミルトン・フリードマンの提唱する、市場原理主義が原点です。

 そもそも、アメリカ人特に共和党は、強烈なパックス・アメリカーナすなわち、アメリカの覇権主義による世界平和という理想を持っています。

アメリカ人の考える自由や価値観が、世界に平和をもたらすという、狂信的思想です。

イラクなどイスラム諸国の価値観など一顧だにしません。

勿論、中国もロシアも同じような覇権主義で、近隣の国家が武力で蹂躙されています。

ノーベル経済学賞まで取ったフリードマンは、レーガン政権以降アメリカ経済・金融政策の中心的役割で、「市場原理主義」という価値観での世界制覇を目指しました。

 その結果、2008年9月のリーマンショックによる世界大不況まで引き起こしたのです。経済学というアカデミックな学問を実社会で実践しました。錬金術ということで考えれば、絶大な効果があったのです。しかしながら、社会に与えた弊害は想像を超えています。アメリカや日本の貧富の格差は世界のトップクラスです。

お金に換算できない、文化や自然環境などは価値を持たない。という考え方です。

お金を持たない貧困層は、自助努力しなかったことによる当然の結果のようにもいいます。

アメリカに習い、日本でも小学生から株取引の学習をしようという動きもありました。

貯蓄は美徳ではない、投資に回して稼ぎましょうと鼓舞しました。

 お金を追求しお金持ちになれば、本当に幸せになれるのでしょうか?

自然を破壊し、世界の文化や習慣を考慮せず、効率的な社会を築くことが、未来の子供たちの幸せに繋がるでしょうか? 

経済評論家の内橋克人氏が述べていますが、戦後アメリカが行った日本に対する政策の一つに、過剰な農産物を日本に売りつけるための施策として、1986年のGATウルグアイラウンドがあります。これにより日本の農林業は大打撃を受け、いまや瀕死の状態です。また、1989年にパパ・ブッシュ大統領と宇野首相の間で、「日米構造協議」が行われ「新貿易法スーパー301条」を制定しました。

法案の一つに、日本のGNPの10%を公共投資にあて、しかもその公共投資は、決して日本経済の生産性を上げる為に使ってはいけない、という信じられない要求がありました。それを受けて、海部政権では、10年間で430兆円を浪費しました。また、これでは不十分だとして、1994年には、更に200兆円が追加され、合計630兆円の公共投資は、経済生産性を高めないような投資にまわすことを、政府として約束したのです。

 日米安保条約の下、日本の安全をアメリカが担うとなっていますが、上記のように日本はほとんどアメリカの植民地に等しい扱いです。

民主党の鳩山政権も迷走していますが、戦後65年を期にアメリカ依存から脱却し、日本の今後の国家ビジョンを明確にし、自立した国家を実現してほしいものです。

どうして

どうして                            2009.9.10


夏休みで東京から3歳の孫が帰ってきた。起き立ての気分がすぐれない時、遊びに夢中なときなど、感情の赴くままに、しゃべり、泣き、笑う。可愛いものです。

 3歳ともなれば、色々な物事が分かってくるが、逆に分からない事だらけで、「どうして?」の連発になる。我が家のパソコンも機関銃のようなオペレーションでついに故障した。そして「なんで動かない?」今度はこちらが泣きたくなる。

この頃の子供の純粋な疑問には、しばし驚かされる。長年生きていると、分からないことを一々分かろうとせず、「そんなものだ」、「当たり前だ」と片付け、それで特に生活に支障がないことでやり過ごしている。そのうち色々なことに興味を覚えなくなり、怠惰な生活にも何の危機感も持たなくなってくる。生きるとは何か。

 子供の知識欲には驚嘆するが、根本は「ものまね」ではないか。親のすることは自分でもやりたい。兄弟がいれば同じことができるようになりたい。といった欲求のように思う。

そのように考えると、身の回りに尊敬できるような人が居れば、そのような人になろうと努力する。毎日イチローや石川遼の活躍をみれば、自分も野球やゴルフをやりたいと思う。

人の成長は憧れや、夢で育まれると思われる。

 振り返って今の私たちはどうであろうか?憧れも夢もなくなっていないだろうか。

子供に期待することが、自分の夢に替わっていないだろうか。

夏の祭事に、終戦記念や広島・長崎の原爆式典がある。先日、NHKで特攻隊に関する番組があった。戦争に係った軍人たちが、戦後毎年定期的に集まり、反省会を開いているという。誰もが悲惨な目に合い、命令した人も、された人も皆不幸になった。

なぜ特攻隊ができたか? 軍司令部は誰も命令しておらず、現場が現状打開のために自発的に行ったと主張し、現場は命令され仕方なく行ったという。敗戦と同時に機密資料は廃棄され、実証できるものはない。かつての軍人たちは、特攻隊というほとんど戦果のない戦略のために、将来のある若者を死地に向かわせているという事実が判っていながら、誰もそれに異論を唱えることが出来なかった、正しいことを言える環境になかったと証言している。

 我々はこれまでもメディアに踊らされたり、ファシズム的な恐怖政治にも翻弄されてきている。自由に考え、行動することの出来ない国は、地球上にまだ多くある。その点で言えば、今の日本は民主国家として良い国の部類には入る。

しかしながら、この様な状況は自然に出来たものではなく、多くの識者が抵抗し勝ち取ったものであり、今後も続く保障はない。今政治は混沌としてきている。

我々が主体的に考え「どうして?」という疑問を持ち、国民の幸福を追求していく行動が、民主国家の基本であり、後世に対する義務ではないかと考える。

国家も歴史を通して成長していかなければならないが、しばしば後退することがある。

成長を支える基本は、人々がそれぞれに「どうして」という単純な疑問や不自然さを感知する感性ではないか。

ベストセラー

ベストセラー                    2009.10.14


今年出版された、村上春樹の新作「1Q84」は、行列ができるほどの人気で、平積みの本があっという間に売り切れたという。私は、これまで村上春樹の本は一度も読んだことがなかった。1987年に出版された「ノルウエーの森」は、786万部も売れた超ベストセラーだが、その頃は全く興味もなかった。

ところが、2009年2月15日 イスラエルの最高文学賞であるエルサレム賞が、村上春樹に贈られ、エルサレムで受賞のスピーチを行った。

 そのスピーチの中で「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」といった。イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃に対する批判である。彼はそのことを伝えるために、授賞式出席に反対する多くの人の意見(警告)を押し切ってここに来たと述べた。

 この時初めて、村上春樹という作家に興味を持った。それから「ノルウエーの森」「海辺のカフカ」「1Q84」、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と続けて読んだ。

彼は先のスピーチで「小説家は、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。」と表現している。

 確かに、彼の作品は「人間の醜悪さ、弱さを暴露し、同時に生き様」をモチーフにして架空の物語を紡いでいる。現実と非現実の中でさ迷うような不思議な感覚に、つい引き込まれていく、SF小説のような独特のストーリー展開がある。

ただ、複数の作品に共通する女性に対する視点が、どこかコンピュータ上のアバターのような、主人公(男)にとって都合の良い設定となっており、違和感を覚えるが、むしろその点が現代の若者に受け入れられたとも言える。

しかしながら女性読者の感想はどうなのか、気になるところである。

また、エルサレム賞が「社会における個人の自由を表現した著作の筆者に贈られるもの」という概念ではあるが、イスラエル社会の複雑な背景を考えると、賞のもつ政治的な臭いを感じるのは、私だけではないようだ。

これまでエルサレム賞の存在すら知らなかった日本人が、大々的にニュースで取り上げられ、またノーベル文学賞の候補リストに名を連ねたことは、「私は卵側・・・」のスピーチ内容はともかく、新刊発行した「1Q84」の驚異的な販売数に貢献したことは間違いない。日本人があまり本を読まなくなって久しいが、出版業者による起死回生の作為的な戦略があったのではないかと疑いたくなる。

商業的戦略や政治的戦略で、マスコミを利用し人心をコントロールすることは当たり前のように行われているが、我々は冷徹な眼でマスメディアが発信する情報の本質を、読み取らなければならない。「1Q84」のベストセラーぶりをみると、その戦略に私も完全に乗ってしまったのかもしれない。

内需拡大

内需拡大                          2009.7.10


与謝野財務大臣が、景気は底入れし世界の景気回復が進めば、日本の製造業は再び活気を取り戻すといった論調のコメントがあった。日本の経済を支えた製造業の復活を夢見ているが、果たしてそうなるか甚だ疑問だ。

1960~70年代の日本の年齢構成は、団塊世代を中心に社会全体が若々しかった。現在の中国やインドのような状況で、安くて良い物を造ればアメリカをはじめ世界中で売れた。40年経った今は、欧州の先進国が辿ったと同じ、衰退期に入っている。

製造業を中心とした産業が、今後中国やインドに勝てる要素は非常に少ない。数年後にはGDPで中国が日本を追い越す予想が立てられている。人間の成長と同じように、国家にも栄枯盛衰のサイクルがある。現在の年齢構成、出生率を考えれば老齢社会は目前に迫っている。

これまで日本はアメリカを手本とし、経済や政治を模倣してきたが本当に良かったのか。

アメリカは独立戦争以後、若い世代が豊富な資源を元に、石油、鉄鋼、自動車、コンピュータなどの新産業を興し世界経済を牽引してきた。政治的にも圧倒的な軍事力をもって、世界のリーダとなったが、中東での軍事介入の失敗や、2008年の金融ショック以来、政治的・経済的な凋落は著しい。貧富の格差、失業率、犯罪件数などマイナス要素は先進国でトップクラスだ。

最近、「デンマークの高齢者が世界一幸せなわけ」ほか、数冊の北欧に関する本を読んだ。目から鱗の話が多くその一部を紹介したい。

デンマークの所得税は累進課税で、38.8~59%、消費税は25%、その他間接税(贅沢税)が別途課税対象になる。日本では所得税は5%~40%の累進課税である。

税金だけを考えると、デンマークが如何に高負担かがわかる。

しかしながら、教育・医療・介護など国民が生きるために必要な負担は、ほとんど無料だ。

子供が生まれても、教育費や、医療費で悩むことはない。子供は社会の宝という概念で、(日本でもかつてそのように言われていたが)社会が一丸となって育てるというコンセンサスがある。また、老人医療や介護についても基本的に税金で賄われる。介護できる家族がいるから補助金が出ないということはない。むしろ、働ける年代の人が働きやすいように、子供や老人は社会が面倒をみるという考え方だ。従って女性の労働率は72%と男性労働率の78.2%と拮抗している。女性の自立性が高く、その為か離婚率も42%と非常に高いが、収入がないからとか、子供がいるから離婚できないという日本と比べれば、むしろ精神的なストレスは女性に少ないように思われる。

デンマークの年金は65歳から支給される。デンマーク人の人生観は、18歳(成人)までの学習期と65歳までの勤労期(家族、友人、仕事を大切に考える)そして65歳以降は、収入よりも社会貢献期という考え方で、人によっては50代から、65歳以降の仕事へシフトするため、例えば福祉関連のスクールで勉強し直し資格を取る人も多いようだ。スクールの費用は、福祉関連の事業組織が持ち本人負担はほとんどない。その他沢山の事例があるが、要するに税金は国民のものであり、それをどのように活用するかが重要なのであって、税の多寡で判断すべきでないことが分かる。

 また、日本は世界有数の経済大国といわれているが、これまでは外貨を稼いでもその多くをアメリカ国債や、ODAなどに拠出してきている。もっと内需拡大のために使うべきではないか。北欧の高福祉高負担社会のモデルは、内需拡大のため施策として大いに参考になる。

戒名とお墓

戒名とお墓                       2009.6.15


最近、実家でお墓を移転した。山の中の急斜面では年を取って墓参りするのに苦労するため、家の近くに移転させてきた。田舎とはいえ、墓となれば何処でも良いという訳にいかず、場所探しに何年もかかったようだ。

ところで、日本の仏教では死亡すると、お坊さんに頼めば戒名を付けてくれる。

そもそも、戒名とは何ぞやと思い調べてみた。

 日本仏教は中国経由の仏教なので、お坊さんは最澄とか空海といった中国名だ。お坊さんが葬式を主導するようになったのは、室町ころでそれまではお坊さんは、葬式とは関係なかった。仏陀(お釈迦様)が修行していた時代のインドは、風葬か鳥葬で野に遺体をさらし骨になるのを待つか、鳥がついばむに任せるのが死者への礼で、現に沖縄では200年ほど前までは風葬の習わしがあったそうだ。

 俗人が死んだら、これは僧になったということにして、中国名をつけた。それを戒名といった。高いお金を払い、中国人の名前をつけられて、それを戒名として喜んでいるのはお釈迦様の教えとは関係ない話で、どうも日本仏教からだまされているような気がすると、作家の司馬遼太郎氏はいっている。

「院」とか「殿」とかは院殿号といい、宗旨よってつけ方は異なるが、何とか院何とか、何とか大居士というのをつける。

室町や江戸の公家大名は、お金がある場合、自分で生前に一建立で寺院を造り、寺院の中に、何とか院という塔頭を造り、そこに自分の菩提を弔ってもらう。だから戒名に何とか院という自分が建てた寺の名前がつくのは当たり前の話だ。

例えば、銀閣寺(慈照寺)をつくった足利義政は、慈照院喜山道慶といった。

戒名というのは仏典には存在せず、日本だけの風俗で、江戸中期に町人、百姓が力を持ってきたとき、寺ではしきりにこれをすすめた。このため幕府は禁令を出し、百姓・町人でとくに由緒ある者以外は、院号、居士号、大姉号を付けることを禁止した。

現在はあらゆることが自由になり、多くの仏門の葬儀に戒名が付けられている。

 また、仏教では本来霊魂を認めていない。仏説でも親鸞の教学でも霊魂という観念はない。霊魂がないとしたら、「阿弥陀経」を唱えて何がお浄土へ行くのか?

釈迦も儒教の始祖の孔子も、死については語らず、死後の世界も「未だ生を知らず。いずくんぞ死を知らん」と突き放している。

 霊魂の祟りだとか尤もらしい話で、一儲けしている迷信産業は現在も流行っているが、お墓もそのひとつと考えられる。

幕末の英雄吉田松陰(寅次郎)の墓は、侘しい小さな墓でしかない。

霊園や墓石業者やお坊さんは、恐らく立派なお墓を薦めると思うが、真に受ける必要はない。立派なお墓だから成仏するとか、先祖が喜ぶというわけではない。

 しかしながら、我が家では養子の父親が故に、それなりの墓を建てたいという気持ちも分からなくはない。法事やお彼岸の日などに、故人を思い縁故の人たちとの一時の団欒は、祖先が残してくれた「縁」であり、大切にすべきものかもしれない。

ユダヤの法則                         2009.5.8

ユダヤの法則                         2009.5.8


下記のような記事がありましたので、紹介します。

私の下手な話よりも、余程面白いと思います。

 ユダヤの法則Ⅰ №182

        78対22の原則

          正方形の中に最大の丸い円を書くと、円の中の面積が78%、円の外

          の四つの角面積を合せると22%である。

          空気はどうだろう?窒素その他が78%、酸素が22%になる。

          人間の体は?水分が78%、骨・皮などが22%である。

          これは何を言いたいのかというと、常識ということを印象づけたいわけだ。

          ユダヤの教えのひとつに、物事は常識で判断せよ!というものがある。

          商売でも、ユダヤの商法には、手形決済という考えはない。

          物を買うなら、現金支払い、か、物々交換ということになる。

          とにかく、問題発生の対処方策は、常識での判断が重要である。



          例えば、人事管理上、若い社員が、給与の78%で生活をして、22%は

          ローンなどの支払いに当てていれば常識的な人間ということになる。

          それが逆で、スポーツカーなどを無理して買い、その結果、給与の22%

          で生活をしている社員がいたなら、要注意人物ということになる。

          総務的には、こんな視点で社員を管理するのもひとつの手段だと思う。

 また、こんな解釈もあります。

人間の最高点は78点

じつは、人間のすることはすべて78点が最高なのです。

人間はつねに22%の改善点を残して次のステップに進みます。でも、その改善点をさらに改善しようとしても、また22%の改善点が残ってしまいます。これを繰り返していくと、改善すべき部分はどんどん小さくなります

                                  以上

弱肉強食

弱肉強食                                      2009.4.10


自然界の法則では「弱肉強食」が当然のごとく息づいている。

これは、良質な遺伝子を子々孫々に残す、いわば種の保存の為の宿命ともいえる。

動物の世界では、個体での闘争で相手を倒してしまえば終わりで、それ以上の攻撃はしない。

 その点人間同士の闘争は凄まじく、負ければ一族郎党皆殺しや奴隷として売られてきた。

カンボジアでは、未だに地雷で多くの子供たちが手足を失い、国民が貧困に喘いでいる。

高学歴の多くの市民が、ポルポトによって虐殺されことが、復興が進まない一因となっているという。独裁国家や、一部の大金持ちによる、政治介入。マフィアによる政治介入など、一部権力者による不当な国民への圧制が多くの国で起こっている。

日本では一部の企業が国会議員に贈賄したことなどが大きく報じられるが、世界の悪事の基準で考えればまだ可愛げがあるように思える。

 国家権力を握ることは、大きな利権を確保することであり、その為にあらゆる方策を用いて権力者になろうとする。金と暴力と策略は不可欠の要素である。

日本の戦国時代では、覇者になろうとした武将たちは、常に一族の滅亡というリスクを抱えながら、他国との戦いや提携、裏切りなどを繰り返し、存続と繁栄を願って戦ってきた。

徳川政権でようやく一時の平和が訪れたが、明治以降昭和20年まで、また戦争が繰り返された。今の日本の平和国家は自他共に認められるが、まだ65年しか経っていない。

しかしながら多くの国民は戦争など起こるはずも無いと思っているが、果たしてそうだろうか。

「こちらが仕掛けなければ戦争にはならない」という理屈は歴史上からも成り立たない。

戦争を起こさせるための罠や仕掛けなど簡単に出来る。「こちらに非はないが、座して死を待つくらいなら、戦争に打って出るしかない」という話は、これまでいくらでもあった。

日本のように機密に鈍感な国は、CIAなどプロの謀略を持って仕掛けられれば、簡単に民意を操作できるに違いない。

 アメリカやロシア、中国など各国の情報機関が暗躍し、多くの国の紛争を引き起こしている。まさに、国家間の弱肉強食は絶えることなく続いているのが現実だ。

アメリカは今後当面衰退し、替わってBRICSが台頭し新たな政治、経済地図が出来るといわれる。国家間の闘争が、更に熾烈になる傾向にある。

 日本には、高い技術、誠実な国民性、他国に無い文化など世界に誇れる財産がある。

自立したアジアの一国として、世界が一目置くような言動をすべきで、何時までもアメリカの核の傘を当てにしていては、世界の国から二等国扱いされるだけだと思う。

日本が世界に向って、人間社会は自然界の弱肉強食型の国家競争ではなく、「地球人として、それぞれの国民が幸せに平和に暮らせる国家を目指す」ことに範を示すべきだ。

ま、いいか。 

ま、いいか。                        2009.3.9


先進国の中では、韓国と日本の自殺率が世界で最も高いそうです。10万人当たりの自殺者数は、韓国が24.8、日本が24となっており、ベルギーが21.3、フィンランドが20.35と続く。米国は11.1。

日本では1998年から、全国の自殺者は過去10年間連続して3万人台が続いているという。昨年の自殺者数は33,093人で、前年より2.9%増加しているとか。

原因・動機を特定できたもののうち、いちばん多いのが例年通りの「健康問題」(14,684人)。なかでも一番多いのが「うつ病」(6,060人)だそうです。

 うつ病はこころの風邪ともいわれ、誰にでも罹りうる病気です。特に真面目で几帳面な性格の人ほど罹り易く、最近はリストラや介護、子育てなど日々の生活のストレスから発症することが多いように思われます。

たまたま本屋に立ち寄ったら、浅田次郎著の「ま、いいか。」を見つけなんとなく買った。浅田次郎は1951年生まれで私とほぼ同年輩で、これまでに何冊か本を読んだが、洒脱なユーモアでほっとするようなエッセイや小説が多い。

40歳で文壇デビューという、遅咲きの味のある作家です。

帯に「なかなか夢が実現できずに、とうとう笑顔が地顔になってしまった。しかしどのような経緯があれ、幸せを求めるうえにも苦悩から免れるためにも、笑顔は不可欠な要件である。楽しければ笑い、苦しければもっと笑い、どちらでもなければ自然に笑っていればいい。日がな笑い続けて、しかも大地に鉄のごとき根が生えていれば、なおさらいい。」とあった。

 過去には、苛烈な戦争や暗い世相を何度も経験した。地球上には未だに目を背けたくなるような貧困や非人道的な国が多く見られる。それに比べれば今回の日本の経済不況などたいしたことではないように思えます。

 体が健康であることと同時に、心の健康が全ての活動のマグマだと思います。

とかく私たちは、目標設定し一生懸命頑張ろうとします。何のために?と問われれば

「良い評価をしてもらいたい」。とか「人から良く見られたい」というが、では何のために「人から良く見られたい?」の問いには???となり易い。

私たちの活動は「幸せになる」為にあります。勿論「私」の為「家族」の為。しかしながらその器である、「会社」や「自治体」や「国」や「地球」が安泰で平和でよい環境でなければ、結果として「私」も幸せにはなれません。全てが繋がっています。良い会社、良い国づくり、良い地球を考えることは自分を含め子々孫々へ幸福を伝承することになります。

 自殺者が多い国家は、何かが間違っています。経済大国といわれながら、世界第二位の自殺率は国家として恥ずべき状況です。良い政治家を選らび、政治を変えなければなりませんが、それまでは兎にも角にも笑顔で「ま、いいか。」

世界不況 

世界不況                         2009.2.6


アメリカ史上初めての黒人のオバマ氏が1月21日大統領に就任しました。

世界的経済不況の最中、世界のリーダーとしての期待を一身に集めています。

今の世界的な不況の主因は、アメリカ発のサブプライムローンに端を発していますが、公式にアメリカはその責任を明確にしていません。

 最近出版された、中谷巌著の「資本主義はなぜ自壊したか」を読みました。

著者が若い頃ハーバード大学の修士課程で経済学を学んだ。30年前のアメリカは、中流階級が多く、生活様式はユートピアを思わせるほど理想的で、そのような社会を構築できた理論は「民主主義、市場原理主義、グローバル資本主義」を基本とした極めて論理的な講義であったという。

氏はこの理論にかぶれ、日本に帰国して後、小渕内閣、森内閣、小泉内閣で「市場原理主義」の急先鋒として、日本経済を変革していった一人です。

 その彼が、今のアメリカや日本の状況を見たときに、「市場原理主義」「グローバル資本主義」に大きな欠陥があったとして、懺悔の気持ちを込めて上梓した本です。

欧米社会は基本的に階級社会で、かつ「市場原理主義」は知識があり強いものがより強くなり、弱いものは何時までも弱いままの社会で、貧富の格差は非常に大きくなっているようです。「市場原理主義」は強者の為の「ツール」であったと断言しています。

ローマ帝国がかつて、属国となったエリートの子息たちをローマに集め、豪華な暮らしと、制度の素晴らしさを体験させ、その国のファンにさせ、忠誠を求めたように、アメリカも各国の優秀な人材を自国の大学などで教育し、ファンを広げた。

 そうした経済理論が世界中に波及し、現在の世界的大恐慌を引き起こしてしまったと思われます。

市場原理主義やグローバル資本主義は、ごく一部の富裕層を生み出すことは出来ても、多くの国民を幸せにするものではない。このことは、この30年間のアメリカと日本を見れば一目瞭然です。

特に日本は「安全・安心・思いやり・希望」が失われてきたのではないでしょうか。

この度の世界不況に遭遇してようやく問題の本質を理解できるようになった気がします。

日本には「三方よし」、すなわち皆が幸せになれるように考える国民性が、経済や、地域、家族の幸せの原動力だったと思います。

 日本が高度成長する初期段階、団塊世代のマドンナである吉永小百合さん主演による、「キューポラのある街」などの映画が多く上映されました。その頃のテーマは、「清く、貧しく、美しく」だったように思います。

「たとえ貧しくても、希望を持って、正々堂々と、美しく生きていきましょう」というような作品が多かったように思います。

今、私たちも幸せとは何かを再考し、行動を変えていく時かも知れません。

ハウツー本

ハウツー本                         2008.12.1


世の中ハウツー本が大流行だ。

料理のレシピや菜園の仕方からゴルフ、水泳、空手、筋肉トレーニング、テーピング法など様々な本がある。それぞれに興味を持って読むと、専門家並みに詳しくなる。

趣味や特技として、ハウツー本は役立つことが多い。

ただ、気をつけないといけない本もかなりある。例えば「楽して大金持ちになる本」、「株で儲かる指南書」とか「不動産で儲ける本」など危険が一杯である。

このような誰にもうれしい話は、私なら絶対人には話さない。一人で儲けます。

誰もが興味を抱くような儲け話は、間違いなく本の著者が儲けるだけで、真に受けて実践すれば必ず損するか、時間の無駄になるのが関の山だと思っている。

 難しいのは意識改革などの本です。このような本は基本的には正しいことが書かれています。「メタボや糖尿病をなおす」食事療法や運動の仕方などから、精神修行的なものまで様々ある。

仕事に対する考え方や人生を如何に生きるかといった、処世訓のような本がある。

このような本は、日々の生活を見直すある種の「活」を与えてくれる。

このような本を本屋で手に取ること事態、既にある種の渇望感があり、例えばこのような生活でよいのか?とか、会社での仕事がうまくいかないとか、何らかの問題意識を持っているから手に取るのであって、問題意識すら持たない人にとっては無用の本である。

従って、このような本は読むタイミングが非常に重要である。

 私の場合、会社を創業するかどうかを決めかねているときは、やたらとこの手の本を乱読した。経営に関する様々な本を読むことで、経営の基本理念を確信し、自信を持ちたかった。

また、創業数年後に、会社が破綻しかねない事態になったときは、本当に死を考えながら暮らしていたが、偶然枕元に「早起きの効能」(題名は定かではない)という本があった。不思議なことに自分で買った覚えがなかったものの、どうせ眠れないからと、一晩で読んだ。

「朝日が昇る時間に起き、太陽が沈んだ後は運動や食事は控えめに」といった事が、書かれてあった。翌朝、2月の寒い日だったが藁をも掴む思いで、5時前に起き出し兎に角歩こうと行動した。

体操しながら、挙句は歌まで歌いながら、近くの川辺を毎日のように歩き、日の出と共に「今日もまだ生きてる」と感謝しながら朝日に向かってお拝んだ。

およそ2年続けた。いつの間にか本が教えてくれたように元気になっていた。

私は、これまでに多くのピンチに恵まれ、お陰で少しは抵抗力も着いて来た様に思うが、

ピンチのときに私を平常心のさせ、かすかな明かりを燈してくれたのは、社員、友人、家族と共に偶然手にした本であったように思います。

金融恐慌

金融恐慌                       2008.11.7


米国のサブプライム問題に端を発し、今年9月米国の大手証券会社や中堅銀行が破綻し、その他の金融企業も含め金融不安が世界を駆け巡っている。

10月1日付けの日経新聞は、昨年のピーク時の株式時価総額から2000兆円目減りしたと報じていた。

下落率で言えば、直近の8月からの下落率は14%で、1987年のブラックマンデーの22.6%、に次ぐ。それ以前だと1929年のブラックサースデーの12.8%よりも下落率が大きく、もはや金融恐慌そのものだ。

1929年のブラックサースデーに対して、ルーズベルト大統領がニューディール政策によって数々の法案を作り改善したが、実態はその後の第二次世界大戦によって軍需産業を中心に経済復興したといえる。

1987年のブラックマンデーの折には、日本経済はバブル真っ盛りであったが、ブラックマンデーの主因はコンピュータ取引が主流となっており、売りが売りを呼ぶスパイラルが原因といわれる。

米国は1990年に湾岸戦争に参戦し、圧倒的な軍事力でイラクを壊滅したが、いまだ泥沼から抜け出せないでいる。

しかしながら、1990年以降米国の経済復興は著しく、日本がバブルの後始末に汲々としている間に、米国自身がバブル経済になっていた。

米国は、今回の金融不安・バブル崩壊をどのように処理するのか?

過去の政策からすると、また戦争でも起こすのか?興味通津ではある。

 そもそも1年間で2000兆円が目減りしたとはどうゆうことか?

お金そのものがなくなった訳でも、実態産業が無くなったわけでもない。

株式評価額が下落したに過ぎない。高い株式や証券などを買った人が安くなって損しただけのことで、シッカリと大儲けした人もいる。株式投資は所詮ゼロサムの世界なのだから、損した人がいれば、必ず儲けた人がいる。一体誰が儲けたのだろうか?2000兆円は誰に行ったのか。税金で金融関連企業を救う前に、この儲けた人から何とか取り返せないのか?

 日本が戦後40年余りで、疲弊しきった社会を世界NO1といわれるまでに経済復興した原動力は、「良いもの、顧客が欲するものを作り続けるという」物づくりにあったのではないか。金を転がして儲けるという、村上ファンドやライブドアは結局社会から駆逐された。今や米国をモデルにするだけでは成功しない。日本の独自性、文化を大事にして、世界から尊敬される経済の仕組みを考える時期に来ているように思う。

11月5日アメリカ大統領にオバマ氏が決まった。初のアフリカ系黒人の大統領で、彼を選出したアメリカのダイナミズムは羨望の感がある。世界的不況を迎えつつある現在、一閃の光となるか、世界が注視している。

2010年7月20日火曜日

血筋

血筋                      2008.10.2


今年4月、東京から長崎までの1000キロの道のりを歩いた知人が居り、私も直方から飯塚まで伴歩させていただいた。遠賀川沿いを約20キロ歩いたがとても爽やかな一日でした。

 現在の飯塚は繁華街でもシャッターがまばらに降りていて、あまり元気のない町並みに見えました。

嘗て筑豊地方は、明治から昭和初期まで日本有数の採炭地域として、当時は大変な栄華を誇っていたようです。今も市の中心に伊藤傳右衛門邸のお屋敷があり、観光名所のひとつになっていますが、その日は残念ながら休館日で中を見ることは出来ませんでした。

伊藤傳右衛門は、歌人白蓮との再婚で話題となったものの、10年後白蓮から傳右衛門宛に絶縁状を新聞に掲載し、当時大騒ぎとなりその名前が全国に轟いたようです。

世間はこのようなゴシップが好きで、好奇の目を傳右衛門に向けました。しかし傳右衛門は、非常に律儀で人望もあり、自分は無学であったため、学校を設立したり、恵まれない子供には奨学金を出したといわれます。また、多くの銀行経営や企業の設立に携わり、北部九州の経済発展に大いに貢献し、安川清三郎、貝島栄四郎、麻生太吉らに次ぐ炭坑王として、尊敬されていたようです。

傳右衛門の父傳六は、その地区の目明しであったようです。目明しの給料は、現在の感覚で言えば女性の初任給程度だったようで、非常に薄給であった上、日頃はチンピラとの付き合いをしながら、情報収集しておかなければならず、お金はほとんど家に入れられなかったようです。其の為か、傳右衛門は早くに母を亡くし、寺子屋にも行けないという悲惨な状況でした。

父傳六は、職業柄と資質から、腕力があり威厳と人望があったようです。

そんな折、資本家の松本潜が、傳六に声をかけ、炭坑業を始めるきっかけになりました。

荒くれ男が全国から、筑豊の炭坑に流れ込み、喧嘩や博打が日常茶飯事の状態で、彼らを指揮できる胆力のある人材として、傳六に白羽が立ち、後の傳右衛門の成功に至ったのです。傳右衛門も父に劣らないくらいの胆力と腕力を備え、其の上慎重さがあったといわれます。

 余談ですが、映画俳優の高倉健(本名小田剛一)の父は筑豊炭田の一つ宝珠山炭坑の労務係をしていた小田敏郎だそうです。小田敏郎は元力士で四股名を「亀ヶ嶋」といっており、腕力・胆力に優れ、後々まで語り継がれるほどの人物だったようです。

 高倉健が、やくざ相手に啖呵を切る様は、正に父譲りの迫力だったに違いありません。

私たちは、先祖代々DNA遺伝子によって受け継がれてきています。

子孫に受け継がれる、身体的特徴や性格などは、単に生物学的な細胞としてだけではなく、家族、友人や隣人たちから学ぶ多くの「生き方や考え方」などが人格形成の土台になります。特に、幼少時の父母からの影響が最も強いのではないでしょうか。

私たちは、父母の後姿を見て成長してきました。今は私たちが子供たちに後姿を見せていく番だということを自覚しなければなりません。

(参考:筑豊一代 炭坑王 伊藤傳右衛門 著 宮田昭)

改革

改革                            2008.9.5


近年、日本経済全体が縮小傾向にあり、不動産関連は、上場企業さえも倒産しており、建設や流通などほとんど全ての業種が厳しい環境にあります。

当業界も、生き残りの為の試練の時期が到来したといえます。日本のソフトウエア業界に関する統計では、数年前から事業社数はやや減少し、就労者数も若干減少しています。

ただ、日本市場だけ考えれば縮小傾向にあるが、特にアジアやアフリカなどの市場は拡大しています。今後の企業の発展を考えるとき、国内だけに留まらずグローバルな事業展開を模索する必要があるかと思います。

また、日本のソフトウエア産業はM&Aなどで寡占化が進んでいます。

派遣法やコンプライアンスの順法意識が高くなり、多重構造が崩れつつあります。

品質・生産性・セキュリティに関する要求が厳しくなり、会社の実力がより厳しく査定され、特異性や品質・生産性(価格)で差別化し、顧客の信頼を得なければ、勝ち残ることが難しい状況にあります。

国内での市場の6割以上は東京を中心とする関東圏にあることも、地方企業には厳しい状況です。地方企業が勝ち残る戦略を明確に打ち出さなければなりません。

IT業界に対して、3Kとか5K産業といわれ学生の志望者が急落しています。

 ソフトウエア業界が、「魅力ある事業であり、社会に貢献し、社員が幸福になれることを目的とした」企業経営を行わなければ、人材が枯渇し結果的に産業の衰退に繋がると思います。顧客からの信頼を得る為に、「専門家としての提案、問題解決、各種サービス」を責任を持って遂行できる真の実力を持つことが大切だと思います。

品質や生産性を向上させる仕組み作りと経営の透明性を確保すること。

仕事に対する意欲の発揚が出来るように、環境や教育を整え、将来への希望が持てるビジョンを提示していくことが重要だと考えます。

 独立系ソフトウエア企業が勝ち残るには、従来のような下請け構造の中だけでは、ジリ貧状態になると思います、エンドユーザに対し、メーカと対等に競争できる力を付ける必要があります。特にコンサルティングなどの上流工程や教育・保守・運用などワンストップのサービスは、個々の企業では力不足です。企業連携やM&Aなど様々な可能性を模索し、勝ち残りの為の戦略・改革が急務となっています。

また、大手特にメーカ系ベンダーとの協業も生き残りの為の戦略と思います。単なる下請けではなく、パートナーとして互恵関係を作り出したいと思います。

 市場環境が大きく変化している現在、企業は環境に合わせて変化し改革しなければ生き残れません。

年初より、風見鶏で縷々述べてきましたが、改革の思いだけに留まらず、行動を起こさなければなりません。改革には痛みが伴いますが、是非皆さんのご協力をお願いします。

人づくりと仕組み作り

人づくりと仕組み作り                    2008.8.19


今年初頭の私のテーマは,「人づくりと仕組み作り」でした。

そこでどのような「人づくり」、「仕組み作り」をしたいかについて述べたいと思います。

 まず、「人づくり」ですが、第一に社会人としての言動が常識的であることです。挨拶や言葉遣い、人に対する思いやりなど基本的なマナーが守れることが最低限必要です。

第二に、当社の企業理念、経営理念、行動指針を理解し、賛同していただきたいと思います。これらの理念や指針は全社員が向かっていく方向性を示していますので、是非とも理解していただきたいところです。判断に迷う場面があれば、理念や指針に照らして行動していただきたいと思っています。

第三に、職務別の人材育成です。人材には大きく「経営幹部」「管理職」「専門技術者」などがあります。人それぞれの適正や本人の希望がありますが、社員の皆さんは是非自らの将来を見据えて、チャレンジしていただきたいと思っています。

 経営幹部は、事業全体の方針策定や実施監督と共に、組織の活性化や管理職の育成などがあります。管理職は、事業方針に沿って現場を指導し、より効率的な組織運営を行う必要があります。専門技術者は、特定分野や得意分野を明確にし、技術者としてのスキルの最大化を図る必要があります。

それぞれの立場で与えられたミッションを、確実に実施できるような人材に成長していただくことが、「人づくり」の目標です。人材育成のためには、各種の教育プログラムと共に、私自身皆さんと語り合い、互いに成長できるように心がけたいと思います。

 次に「仕組み作り」ですが、基本的な思想は「合理性」「透明性」「スピード」が担保され、向上できる仕組みにしたいということです。例えば、

見積もり基準は、どのようなものか?

一人当たりの生産性は、どのようにして図っているか?

各プロジェクト状況は、一目で判るか?

という視点で現状を見たとき、果たして「合理性」「透明性」「スピード」が確保されているでしょうか?

現在の仕組みを否定するつもりはありませんが、より良い仕組みに進化し続けなければならないと感じています。

また、我々の業種は製造業の一面を持っているわけですから、「品質」の確保と「生産性」の向上は永遠のテーマです。品質を上げることで、結果的に生産性を向上させることも出来ます。

良い品質の提供は、会社の信用・信頼に繋がります。品質向上に対しては、全社を挙げて改善していきたいと思います。

生産性の面では、生産プロセスを常に見直し改善する、必要があるように思います。

例えば、開発環境や言語など当社で自由な選択が出来る案件であれば、圧倒的な生産性を実現できるようにしたい。オープンソースの活用や当社独自の開発環境の整備で、生産性は飛躍できるのではないかと思います。

品質・生産性向上のためのプロジェクトチームをつくり、実現したいと思います。

                                   つづく

初心に帰って―2

初心に帰って―2                     2008.7.4


ゴーイングコンサーン(going concern)という言葉がありますが、企業は破綻することなく、事業を継続し続けることが最も大切なことだと言っています。

企業が存続し続けるには、「社会にとって有用な企業であり」、「顧客からの信頼があり」「企業を支える社員の協力」がなければなりません。

当社は、残念なことに2期前の大幅な赤字決算の影響を、現在も引き継いでおり厳しい状況です。社員の皆さんに、不十分な待遇に耐えていただいており申し訳ない気持ちでいっぱいです。

まずは、この苦境を早期に乗り越え、皆さんに安心して働ける場所にしたいと思っています。

私たちの仕事は、ITを通じて顧客企業の経営改善や合理化などで、企業の発展のお手伝いをする仕事で、社会に役立つ大切な仕事だと思います。

ところが、最近ではあまり学生の人気がありません。

当業界の多くが派遣型で、どちらかといえば決められたとおりにプログラムを組めばよいような、労働集約型産業との認識になっているからではないでしょうか。

当社は、創業以来一括請負型のビジネスを行ってきました。業務知識や、IT技術を蓄積し、品質・価格で他社との差別化が明確な企業を目指しました。

当社の経営理念「次代の要求するマーケットを創造し、人と技術で社会に貢献する」とは、顧客が想像する以上の良い提案・技術を提供し、お役に立てるパートナーであり続けたいとの思いです。

言われたことをやるのは、当たり前。言われないことでも顧客のお役立つことを率先して提案することが大事だと思います。

技術者はとかく「技術者バカ」になりやすいものです。素晴らしい技術と自画自賛していても、仕方がありません。顧客から喜ばれてはじめて、その技術が役立ったことになります。懸命に働くことで、技術と共に人間的に成長することが肝要ではないかと思います。

当社の企業理念に「企業の発展と共に社員の夢と幸福を追求する」があります。

顧客満足と社員満足は両立すべき課題と捕らえています。

社員の皆さんの幸福を実現できるような経営をしたいと考えています。

企業経営においては、「利益」の確保と共に「人材育成」を行い、事業の革新や改善を不断に行わなければなりません。また、将来へのリスクヘッジや投資ができるように「内部留保」も必要です。

企業が永続的に発展して行く為に事業方針を明確にし、確実に実行していかなければなりません。企業が安定的に成長することが、社員の「夢と幸福」を実現できるものだと思います。

 私は創業当時、親戚縁者に対し「当社は一切の閨閥を排除するので、社員としては受け入れません」と宣言しました。それは多くの名経営者から学んだことでもあります。

また、経営内容をガラス張りにするなど、公明正大に事業を行っていくことが企業の健全な発展に繋がるものだと、信じています。              つづく

初心に帰って-1

初心に帰って-1                       2008.6.5


1990年4月に当社を創業し、既に18年が経過しました。

創業にいたる経緯や創業の思いをもう一度振り返って、原点に返ってみたいと思います。

1971年大学卒業と同時に横浜の日響電機(現JBCC)に入社しました。一年後に同社の先輩がソフトウエア会社を創業することになり、誘いを受けて3名で会社を設立しました。

 ソフトウエアという事業そのものがまだベンチャーの走りでした。UNIVACや日立、三菱など種々の仕事を行ってきましたが、大半は派遣型でした。ただ、仕事そのものは非常に充実していたように思います。25歳で取締役という役に付きましたが、恥ずかしくてとても名詞には書けませんでした。肩書きに見合う仕事はしていないと思ったからです。

ただ、その役職を受けるに当たって、一つだけ社長にお願いしたことがあります。

それは、30歳になったら経営に関して意見を言わせてもらう。それまでは技術者として仕事をしたいので、経営に関しては関与できないということです。

 その後会社も30名強の社員数になり、私も30歳を迎えいよいよ経営に関して関与していかなければならないと思いました。

数年前から、経営とは何かというテーマで、種々の本を読み漁っていました。特に著名な経営者の本はとても参考になりました。

私は、株主でもあり役員でもありましたがバランスシートも見せて貰っていなかった。株主総会も取締役会もない完全なワンマン経営でした。

そこで、「会社経営を透明にしましょう。経営理念や事業計画を作り社員に対し、企業の将来をより明確な形で表していきましょう」と訴えました。

経営本の受け売りでしたが、約3年間社長と喧々諤々議論しましたが、受け入れてもらえませんでした。自らの力の及ばなさを痛感すると共に、それなら自分で起業するしかないと思った瞬間でした。

 その後大手のソフト会社に入社し、福岡営業所に勤務することになりました。入社時に3~4年で辞めて会社を作るつもりでしたが、丁度4年目に営業所長を任命され、経験したことの無い営業という仕事をやってからでも遅くないと思い、結局8年勤めた後に当社を設立しました。

創業時に最も大事にしなければならないと、下記の3点を改めて心に誓いました。

① 「存在価値ある企業を目指す」。人々や社会に有益であることが、存続することの価値だと思います。社会に貢献できるとは、世の中のためになる事業を行うことと、雇用を創出し社員の幸福を実現する。

② 「永遠に存続し続ける使命」。顧客や社員が企業倒産による不利益を被らないように、時代にあった事業戦略・組織改革を行い、利益を確保し投資とリスクヘッジを行わなければなりません。倒産させない経営が基本です。

③「公明正大な組織を作る」。企業は公器です。私物化したり派閥化しては、組織本来の機能性や公平性が保たれません。

                                  つづく

顧客満足 

顧客満足                        2008.5.5


私たちの仕事は、お客様の利益に寄与する、提案やサービスを提供することですから、お客様から当初の利益目標を達成したと評価していただければ、基本的にはその仕事は成功したといえます。ただ、往々にして次のような顧客のクレームがあります。

① 当初予定より費用がかかった(追加や変更)

② 現場は納得しているが、経営者が不満。

③ 我々は素人なので、専門家としての立場で提案がほしい

④ スケジュールが遅れている。どうなっているのか?

⑤ 納品後の対応が悪い。等

①は、要件定義などが不十分な状態で、見積もりした結果途中でボリュームが増加した。顧客がそれを認め追加予算を出してもらえればいいが、全てこちら持ちの場合もある。

いずれにしても、顧客は不満足な印象を持ちます。

②は、開発窓口になった人が、開発の目的を十分に理解せず、自分の都合のよいシステムにした為、経営者や他部門の理解を得られないシステムになった。

③は、決定するのはお客様ですとばかりに、種々の問題を顧客任せにし、その結果うまくいかなくても「お客様がそのようにおっしゃったからです」と責任回避する。

④は、進捗状況を定期的にキチント報告せず、突然遅れています。すみませんと謝る。

⑤は、業務多忙や、お金にならないといった理由から、顧客との距離ができる。

その他にも種々の顧客不満足が発生します。中には本当に理不尽と思われるようなクレームもありますので、全てのクレームを100%解決できるものとは思いませんが、少なくとも上記のようなクレームは、何らかの対策を持って望めば、解決できるクレームではないかと思います。

クレームを発生させない為の、基本的な考え方は、「相手の立場で考える」ことに徹することだと思います。交渉相手の置かれている立場やミッションなどを考慮し、相手にとって必要な情報や、提案、報告をきめ細かく行うことで、基本的にクレームを減らすことができると思います。クレームは来るうちが花と思って、クレームには全力で対応しなければなりません。

上記のようなクレームが繰り返し起こらないようにしたいものです。

当社の事業は同一の顧客との継続的な仕事が多く、日々のコミュニケーションが大切です。挨拶や気遣いは基本的に必要ですが、忘れてはならないことは、私たちは技術のプロとしての技術的貢献と共に、ビジネスの筋を守ることが大事だと思います。

互いの利益を保てるように、契約や開発段階での互いの約束事を決め、協力し合いながら仕事を進めていくという考え方が重要です。進捗状況の報告や、議事録などのエビデンスを取り、日々のコミュニケーションを大事にしていただきたいと思います。

ビジネスの基本はWin Winです。もし理不尽な要求があれば、毅然として筋を通して話し合わなければなりません。

                              つづく

価格

価格                             2008.4.1


市場経済において商品やサービスの価格は、消費者が商品そのものの価値と需給量の関係から妥当と思われる価格にいずれ修練していきます。

当社では、人件費や諸経費を含め総経費を予測し、利益を0と仮定したときの、必要最低限の単価(ローディング)を設定し、これに利益分を乗せた売上単価を設定しています。

この売上単価は、先の価格(顧客から見た価値)とは全く異なり、顧客にとっては妥当性があるとはいえません。

 価格はあくまでも、顧客が費用として納得できる範囲でなければ、ビジネスとして継続することはできません。トヨタなど製造業は、「改善・改革」による品質向上と生産性向上への血のにじむような企業努力で、世界の競合会社に打ち勝ってきています。

我々、ソフトウエア産業界は、その意味ではまだまだ、「改善・改革」が不十分なのではないでしょうか。

 当社は、見積もり基準がない(または人により異なる)、生産性の基準となるメジャーが無い、品質の確認基準が不明確など、多くの点で基準がありません。

見積もりは、当社内においては誰が見積っても同じになるように、ひとつの基準をまず設定しましょう。機能数や画面数、帳票数などを基準にベースの見積もりを行い、その次にリスクの基準(顧客対応、難易度、資料の完成度、環境等)を設定します。また、開発リスクとして(作業場所、要員スキル、スケジュール等)を明確にし、それぞれのリスク係数を明示することで、受注前の状況把握を正確に行えると思います。

失敗プロジェクトにありがちな、こんなXXとは思わなかったという事態に陥らないように、極力種々の危惧を取り払うようにしたいと思います。

 基準の設定は、まずは「おおよそ」で構いません。その結果をフィードバックし、基準の精度を上げていけば構わないと思っています。技術も、営業もまずこの基準をベースに見積るようにしていただきたいと思います。

 当社のように、社内での受託開発の多い事業の場合、生産性を上げることと、非稼動数を無くすことが最大の利益改善になります。非稼動数が1工数あれば、平均55万の利益毀損になりますので、それを埋め合わせる為には、270万の売上が必要で約4.人月のプロジェクトを立ち上げ20%の利益を確保しなければなりません。要は一人遊べば4人がかりで埋め合わせしなければならないことになります。

非稼動工数を0にすることは案件と技術者の最適配置が必要で、当社が毎年安定的に収益を出せていない理由が、この非稼動工数の撲滅が出来ていないことにあります。

一方非稼動を出さないように案件数を増やし、マルチ作業を増やすと、社員の疲労や品質低下がおこり、結果的にマイナスプロジェクトになるケースもありました。

年度計画において、非稼動工数をある程度予見して、その分各プロジェクトで生産性を向上させながら市場価格を目指すしかありません。市場価格より高くても顧客が納得するのは、企業としての信用力にほかなりません。日々の活動や対応に対し信頼があれば、付加価値として活用することもできます。顧客満足こそ最大の利益創出の原点です。                                                                    

つづく

働き甲斐 

働き甲斐                           2008.3.5


プロ野球選手のような、非常にストイックな練習や生活をしないと一流であり続けることは出来ない、厳しい職業もあります。しかしながら、私たちのように30数年間無事に、仕事をし続ける長期の職業は、それなりの人生設計が大事だと思います。

「仕事が生きがい」と言い切れる人はそれほど多くは無いと思います。それよりも私は、日々の仕事に向かう時に、「さあ今日も頑張るぞ」とか「何とかこの問題を片付けよう」といった、前向きな気持ちが維持できるようにすべきだと思います。健康面と共に友人・仲間達や家庭など勇気付けてくれる人たちを大切するように心がけましょう。

24歳の頃、私の仕事仲間で友人だった人は、残業するのは自分の美学に合わないといって憚らない人で、本当に5時になると「さあ飲みに行くぞ」となり、私もそれに付き合っていました。実際多くの友人が出来、本当に良かったと思っています。仕事が楽だったわけでは決してありません。5時までに如何に終わらせるかということで、時間内は必死で集中していたと思います。当然それでも出来ないことがあれば、飲んで帰ってそれから仕事ということもありました。

 当時、最も勉強させていただいたところが、三菱電機でした。非常に厳しい課長さんの下、徹底的にしごかれました。その数年間が、私の技術者としてのバックボーンになり、その後多くのプロジェクトマネージャなどを行いましたが、特段の問題もなく完成することができました。当時は非常に辛い思いをしましたが、恩人だと感謝しています。

 PMなどメンバーを指導する立場の人は、少なくともどのようにメンバーを成長させるかという目標設定が必要です。これは個人目標とは別物で、指導目標です。

この人をこのプロジェクトではXXをどのくらいの品質・生産性まで出来るようにする。といった具体的目標値で指導すると、結果が明確になり、本人自身の成長が目に見えモチベーションを高めることが出来ます。

特に1~2年生は、自分自身の能力・適正はほとんど白紙状態ですから、自身の能力の基準がわかるようになり、自ら自信を持って計画できるようになります。

またメンバー全員が互いの作業負荷状況を共有し、ある程度公平に分担され、各人がスケジュールに対し明確な責任を意識しているという状況を作り出すことが大切です。スケジュールにおいては、大日程からくるブレークダウンと同時に、各人からの作業項目に対する本人からの目標申告を受け、その目標が本人の能力・経験と照らして妥当かのチェックが非常に重要です。往々にして誰しもリスクを多めに設定し計画を延ばす傾向になりがちですので、他者との比較やリスクに対する最善の回避策等を事前に本人と打ち合わせることで、納得させることも可能です。基本は120%の力を発揮させる「場」作りです。互いに競い合いながら、成長を実感させることが指導者の役割です。120%の目標を目指し、その結果達成できれば、生産性は20%向上したことになります。

社員が仕事を通して成長し、評価されることは、働き甲斐を醸成する基本です。企業理念の「情熱と感動を共有する企業を目指す」を念頭に、10年後メンバーから「あの時に厳しく指導されたお陰です」という御礼が言ってもらえるとうれしいですね。

                              つづく

所作

所作                            2008.2.5


今年の抱負に「人づくりと仕組み作り」を掲げました。創業18年経ちますが、ひとつの壁に突き当たっていると思います。この壁を突き破るには、基本に返ってしっかりした人材育成と仕組み作りを行う必要があると考えたからです。そのような観点から、しばらくは、人づくりと仕組み作りについて思うところを述べてみたいと思います。

 武田信玄は「人は石垣 人は城」といいましたが、立派な民政を行うことで、人民の力を結集すれば戦いに勝てる。城などを頼りにすることはない。という意味でもあります。

企業経営についても同様で、企業力とは人材育成とその活用の仕組みに鍵があると思います。

人づくりとは、特別な技能や特別な人間性を持った人を育成する、ということではありません。お客様の信頼を得るにはどうすべきか、社員や仲間と「協働」し、効率的かつ楽しく働くにはどうすべきかといった原理原則を理解し行動できるまでにすることだと思います。物事の原理原則を正しく捉え、特に意識することなく自然に行える状態にまで「所作」として昇華できるようにならなければなりません。原理原則を正しく捉えるというと、人によっては違いがでてきます。民族や育った環境、宗教などにも影響します。

私がここでいう原理原則は、あくまで当社が事業を行っていくうえで大切にしたい考え方や行動です。その原点は、企業理念・経営理念・行動指針に示しています。

 企業理念でいう、①顧客の満足を最大にする=>【お客様の利益の追求】、②情熱と感動を共有する=>【働き甲斐の追及】、③企業の発展と共に夢と幸福を追求する=>【企業の発展と社員の幸福の追求】が、当社における原理原則です。

従って、当社の企業理念や、行動指針などで示している原理原則から外れる言動は、正しい「所作」ではないということになります。

 例えば、顧客利益と当社の利益は、二律背反(トレードオフ)になることはよくあります。過剰サービスは会社に不利益になりますし、顧客不満足は、中長期的な観点からいえば会社に悪影響を与えます。システムエンジニアやマネージャは、「顧客に満足感を与えつつ、いかに利益を確保するか」というテーマを解決することが、最大のミッションなのです。

 また「仕事は営業が取ってくるもの」という技術側の言い分を時々聞きます。そうかも知れません。しかし本当に良い仕事をし、お客様が当社を信頼してくれれば、営業はいなくても向こうから仕事の依頼があります。また、良い評判になれば、口コミで仕事が来ることもあります。顧客不満足ならばその全くその逆に仕事が急速に減ることになります。

 XXができないのは、○○のせいだというような、責任転嫁はやめましょう。責任転嫁しても問題は解決しません。自分で出来ることは何か、改善できることは無いか、常に問題意識を持って、改善改革に取り組み、仲間や上司を巻き込みながら、明るく楽しく仕事をするように心がけましょう!・・・所詮仕事は辛くてそれほど楽しいものではありません。唯一仕事が完成し、お客様や同僚達から「ありがとう、ご苦労様、頑張ったね!」といわれた時に、ようやく安堵感と満足感が得られるようなもので、夏の花火の様なものです。

                                     つづく

豊かさ                           

豊かさ                           2008.1.9


2006年の世界の名目国内生産(GDP)に占める日本の割合が9.1%となり、国民一人当たりの名目GDPは90年代では世界の2位から6位あたりだったのが、18位まで順位を下げたと発表された。

一人当たり名目国内生産(GDP)は1位から順に、ルクセンブルグ、ノルウエー、アイスランド、アイルランド、スイス、米国、イギリス、カナダとなっている。

 ルクセンブルグは、フランスとドイツに挟まれた佐賀県くらいの小国で、鉄鋼業、金融サービス業、その他サービス業が主に経済を牽引している。ノルウエーは石油や漁業・林業及び船舶関連事業が主要な産業である。

上位5国はいずれも国土は小さく、政治形態に特徴があり、地理的優位性をうまく活用しているように思える。

今後日本が永続的な発展・国民の豊かさを享受するためには、米国型経済理論から脱却し、極東日本の地理的優位性や国民性を認識し、北欧型の経済政策を参考にしてはどうかと思う。

 ところで、近年金利が非常に低く定期貯金してもほとんど利殖できないため、株などの投資に興味を持つ傾向があり、書店やマスコミもこぞって投資指南に関する宣伝を行っている。本当に儲かるのだろうかと多くの人が興味を持っているに違いない。

野口悠紀雄早稲田大学教授は、たとえ話として「いつもの散歩道に金貨が落ちていたとしよう。それは、本物の金貨だろうか?そうである可能性は否定できないが、こんな人目につくところにある金貨が本物なら、すでに誰かが持ち去ってしまった可能性が高い。だから落ちているのは偽の金貨だろう。少なくともそう考えるほうが身のためだ。」

人生において、時間は貴重だ。「偽の金貨を見出す方法」に勉強時間を浪費するのは、まことに愚かな事だといっています。

 もしどうしても、定期預金よりも良い方法はないかといえば、リスクはあるが投資信託にすべきだ。それも「インデックス投信」か「パッシブ運用」といわれる投資信託が良いとのこと。

 経済を俯瞰し、企業経営における戦略を考える上では、株価動向の勉強は重要だとは思うが、私自身、自社株以外投資目的で株を買ったことがない。

上記の野口教授の提言は、素人が少しばかり勉強して株で大儲けしようなどと考えるのはバカなことだと戒めている。プロとして暗躍している投資家の餌食になるだけだと。それよりも限られた時間を大切にし豊かな生き方をすることを考えるべきだと言っています。

同感です。そもそも平均株価の上昇がない限り、手数料を引かれた総額を投資家同士が奪い合う「ZERO SUM」の世界ですから、麻雀壮でマージャンするようなもので必ず負ける人が出ます。それも素人や常連カモ。投資家のプロを目指すには、私は余りに年を取り過ぎました。

自己実現 

自己実現                           2007.12.5.


「生徒の学習到達度調査」(PISA)とは、OECD57カ国の義務教育段階で学んだ知識を実生活で活用する能力を評価するテストというのがあります

日本からは約6千人の15歳の学生を、また全体で40万人を対象に行ったテスト結果が出ていました。

数学的応用力は、3年前の前回6位から10位へ。科学的応用力は2位から6位。読解力は14位から15位へと下降しており、6年前には数学的応用力は1位、科学的応用力2位、読解力7位といずれも世界のトップレベルにあったが、相対的に著しく下落してきている。

 文部省のゆとり教育の弊害だとか、学校の荒廃だとか、テレビの悪影響だとか色々な原因を詮索してもはじまらない。

資源のない小さな島国の日本が、戦後の荒廃から今日の経済的発展を遂げてこられたのも、勤勉さをベースに科学技術や物づくりに懸命に努力した賜物ではないかと思います。

現在は物が溢れ、物質的な欲求は薄くなり社会全体で見れば安定した良い国であることは間違いないと思いますが、その結果子供たちに、将来への夢や欲求が描けず、勉強への興味が薄れてきてしまっているのでしょうか?

アメリカの心理学者・アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化した、「マズローの欲求5段階説」があります。

現在の日本状況をみると、生理的欲求、安全の欲求、親和の欲求あたりで満足し、人間だけが持ち得る、第5段階の「自己実現」への欲求に対する熱望が本当にあるのかと思われてきます。

 何不自由なく暮らせることはとても幸福なことで、そのような国や家庭に恵まれたことは本当に感謝すべきことです。幸せな暮らしを子々孫々守っていくことは、私たちの義務でもあります。ただ、折角この世に生を受け、多くの可能性を実現できる環境にありながら、その可能性にチャレンジしないことは、人生を無為に過ごすことにならないでしょうか?

世界中を見渡しても、また歴史を振り返っても、今の私たちの環境は非常に恵まれていると思います。このようなチャンスを与えられている国民は多くありません。

私たちが今子供たちに伝えなければならないことは、私たち自身の生き様ではないでしょうか。

子供は親や社会を鏡として成長します。私たちの生き方、考え方が正しければ次の世代もきっと生き生きとした良い方向に向かうに違いありません。

偽装 

偽装                    2007.11.5


毎日のようにニュースで取り上げられている、食品の偽装表示にはいくつかのパターンがある。

「商品そのものに表示と違った材料を使用している」、「商品を回収し再利用している」、「消費期限または賞味期限を偽って表示している」、「生産地を偽装もしくは誤解を招く表示をしている」などである。

 ここで、用語自体を整理しておく必要がある。

1. 消費期限とは

定められた方法により保存した場合、腐敗、変敗その他の品質の劣化に伴い安全性を欠く恐れがないと認められる期間を示す年月日。

製造日を含めて概ね5日以内で品質が急速に劣化する食品

弁当、サンドイッチ、生菓子類、食肉、生麺類など

必ず期限内に消費する必要があります。

2. 賞味期限とは

定められた方法により保存した場合、期待される全ての品質の保持が十分に可能であると認められる期限を示す年月日。ただし、当該期限を超えた場合でも、これらの品質が保持されていることがあるものとする。

製造年月日を含めて概ね5日を超え、品質が比較的劣化しにくい食品

3ヶ月を超えるものは「年月」それ以外は「年月日」で表示

牛乳、乳製品、ハム・ソーセージ、冷凍食品、清涼飲料水など

期限を過ぎても直ちに「食べられなくなる」ということではない。およその目安。



という定義があります。

私の好物でもありました、赤福餅は1の消費期限の偽装と、商品の再利用が宣伝文句と違うということで、指弾されました。また廃鶏を比内鶏と偽り販売したり、豚などをミートと表示して販売した業者もありました。

偽装そのものは社会正義に反するもので、当然罰を受けるべきものですが、私たち消費者がまず考えなければならないことは、あまりに情報に振り回されすぎていないか自問する事が大事だと思います。テレビで宣伝した食品が翌日スーパから消えるなど日常茶飯事で、それも数日たてばすっかり元通り・・・。

 例え廃鶏であっても美味しいと思えば、立派な食品でなにも廃棄処分にしたり、肥料にする必要はなく、安くて美味しい食品として食したいものです。

因みに生後400日から1000を目安に、卵を産めても食肉として廃鶏とするそうです。

老鶏を売る時に「拝鶏 私たちは沢山の卵を産み、皆様に喜んでいただきました。今では少し身も硬くなりましたが、その分歯ごたえがあり、アミノ酸も豊富でとても美味しいですよ! どうぞご賞味ください 鶏具」とやったら売れないかなー・・

資源を大切に利用、再活用するのであれば、消費者はそれに見合う対価を支払うのに疑問を持たないのではないか。

抵抗  

抵抗                    2007.10.5


ミャンマーの混乱が報道されている。僧侶や市民からインフレや政治に対する不満が噴出している。英雄アウンサウン将軍の娘アウンサンスーチーが国民民主連盟を結成し、選挙は大勝利に終わったにもかかわらず、軍事政権が選挙結果を無視し、1989年以来アウンサンスーチーを自宅軟禁状態に置き、民主化の勢いを完全に止めました。

 ミャンマーは昔ビルマといわれ、私が中学生の頃ビルマの竪琴という本が有名になりビルマという国に対し興味を持ちました。敬虔な仏教徒が大半を占め、僧侶は尊敬の対象で、カーキ色の粗末な法衣は、仏教本来の修行僧の装いである。ミャンマー人は農業・林業を主体とした経済で、非常に温和な国民だと言われています。

天然資源が豊富なため、これまでにイギリスやインドなどの植民地となり辛酸をなめてきています。1948年にビルマ連邦として独立したものの、国内の内紛が続いており、現在に至っています。中国や日本がこれまで軍政権との関係を保ってきたのも、天然資源の魅力があるからで、その結果国民はますます民主化から遠ざかってきました。

 ようやく日本はODAによる支援を中断するとの決定を行ったが、後味が悪い。

北朝鮮にしろ、ミャンマーにしろおよそ軍人政権下にある国民が幸せになったことはない。嘗ての日本がそうであったように、軍人政治の怖さは、思想の自由、発言の自由

行動の自由を完全に奪うことにあります。

 会議においても、威勢のいい意見を良しとし、消極的または懐柔的意見は弱腰と軽蔑する。意見の相違を認めず、必要なら抹殺するという方程式で、冷静な判断のできる政治とはとてもいえない。為政者による為政者のための政治です。

このような政治形態がいつまでも続くとは思えませんが、その間の国民は悲惨な状態にあります。日本も目先の利益に走るのではなく、国家としてまさに品格のある対応が望まれます。

 私たち一人ひとりは無力に等しいが、正しいことやあるべき姿を明確に持って発言・行動することで何かを変えることができる。キング牧師の人種差別への抵抗や、ガンジーの非暴力による抗議デモなどはつとに有名です。

理念を明確にし発言・行動することで、多くの共感者ができ、それがエネルギーとなって、世論を呼び起こし、世の中を変えたことは、先人達が歴史で示しています。

 その中心にある人の資質は、清貧、誠実、公正、勇気の持ち主のように思えます。

懐かしい人

懐かしい人                  2007.9.5


お盆明けに、元三菱電機の方からYACS(国鉄の操車場システム)のメンバーで久しぶりに同窓会をしましょうとのお誘いがあった。

YACSは、私が24歳の時に初めて大規模なシステム開発の仕事に関わった、印象に残る仕事でした。私はそのプロジェクトに約4年間関わりました。

全体で80名、ソフトウエア開発部門でも50名くらいはいたように思います。当時の最先端技術を取り入れ、文献とも取っ組み合いしながら開発しました。

 当時の課長さんが非常に厳しい方で、毎週月曜日に進捗会議を行いますが、予定通り進んでいない報告をすると、その原因が外的要因に起因しない場合は、烈火のごとく叱られました。しかし、そのお陰でプロジェクト管理の手法を会得し、その後のプロジェクト管理が非常に上手く行くようになり、今でも恩人だと思っています。

当社を創業後、その方にお礼と共に食事をお誘いし話をしました。

当時は暗中模索だったかもしれませんが、プロジェクト管理と品質管理に対する理論を確立され、70歳を過ぎた今でもコンサルタントとして活躍されています。

 プロジェクトは紆余曲折で、今思い出してもシステム開発の進め方や、顧客との対応など現在に通じる多くの経験をしました。

10名ほどの、戦友ともいえる方々とお会いし、懐かしさと共に当時を振り返って

昔話に花が咲きました。中には66歳でいまだに現役プログラマーを自称される方もいました。また、当時交通事故を起こし解雇され波乱万丈(本人いわく)に生きてきたという人もいます。それぞれに人生があるものですね。

30年以上の時を経て顔のしわが増え、髪の毛は減りましたが、性格や言動はほとんど昔のままで変わっていません。

多くの方が企業の要職に付かれ、それぞれにご苦労はあるのでしょうが、こうして昔の仲間に会った瞬間、30年前にタイムスリップして、当時の面影のまま話題に興じました。

出席者にはいませんでしたが、非常に世渡りの上手い人がいて、社会的には成功したのでしょうが、評価としては手厳しい批判があります。仕事を通じて人間性が磨かれ尊敬される方もいれば、その逆もあります。

人生に勝ち負けはありませんが、晩年になって信頼できる多くの友人に恵まれていれば、それはよい人生だったといえるのではないでしょうか。

自由平等

自由平等                     2007.7.17


戦後7月の台風としては最強といわれた、台風4号で九州南部は大変な被害に見舞われました。台風一過と共に博多祇園山笠が終わり、福岡はいよいよ夏本番を迎えました。

760余年の歴史を持つ、山笠には多くのしきたりがあります。

手拭(てのごい)は9種類あり、役職や役割を明確にしています。

法被は町や流れごとに違い、所属がはっきりしており、下手なことは出来ません。

博多手一本は、決まりごとに対する承認を意味し、その後の異議を認めないという暗黙の約束があります。また、博多祝い唄は、めでたい席や色んな集まりの最後の締め唄として、唄われます。

 博多んもんは、山笠で育つといわれるように、生まれた時から山笠の洗礼を受け、赤ん坊に法被を着せ山笠に出る父親もいるようです。小学校などでも山笠の行事だといえば、どんなことでも許可されるといいます。山笠を通して、長幼の序や挨拶、しつけなどを厳しく学び、体格が大きくなると一人前の男として認められ、山を曳くことに大きな喜びを感じるようになります。

 山笠が好きで好きでたまらない人を、「山のぼせ」というそうですが、先日、九州大学の教授で、自他共に認める「山のぼせ」教授が、学校の授業をすっぽかし、山を曳きに行ったところ、大学に怒られたと憤慨しておられました。

「800年の文化と高々100年に満たない大学の行事とどちらが大切か、そんなことは自明の理ではありませんか。」と

かなり強引な理屈ではありますが、「山のぼせ」であれば納得できます。

 私たちは自由に生きたい。自由でありたい。とは思いますが、自由であることが“生きがい”や“幸福感”をもたらすものでもないように思います。

厳しい制約や規律の中で、仲間とともに互いに助け合い、目標に向かって一丸となって汗するという、山笠のようなイベントに幸福感・達成感を感じるのではないのでしょうか。戦後日本人の多くが「自由平等」の意味をそれぞれが勝手に解釈し、権利の主張ばかりを声高に唱えることが多くなり、非常識な社会が出現しているように思えます。

権利の主張をする前に、心地よく安心して暮らせる社会を作る為には何をなすべきかを、山笠を通じて考えさせられました。

三行半

三行半                   2007.6.18


6月は、花菖蒲、百合、桔梗など年間で最も多くの花が咲く季節です。

梅雨時の6月は、植物にとっては大変良い気候なのでしょうが、欧米で言われる

ジューンブライトは、日本ではあまり歓迎される時期ではない様に思います。

 6月の花の代表は何といっても紫陽花ではないでしょうか、色とりどりで華やかな

紫陽花は、桜にも似て短い命を精一杯生きているようにも見えます。特に雨上がりの

紫陽花はしっとりとしてふくよかな印象があり、心が和みます。

 若い頃、東京で仕事をしていた時は、休日に良く鎌倉に行きました。

鎌倉にはおよそ30のお寺やお墓があります。有名なところでは、建長寺、鶴岡八幡宮

鎌倉大仏などですが、花のお寺として有名なのが瑞泉寺で四季折々の花が楽しめます。

紫陽花寺として有名なのが、明月院です。本当に色とりどりの紫陽花がお寺一面に咲いており、今が見ごろです。

 鎌倉にはこのように歴史的にも有名なお寺が多くありますが、中でも「駆け込み寺」として名を馳せているお寺が、東慶寺です。

 江戸時代まで、妻の側から直接的に離縁を申し出ることが許されなかったことから、

結婚を継続する事がどうしてもできないという理由で、妻がこの東慶寺に逃げ込んだ

ことで、妻を匿い多くの女人を救済した歴史を持ちます。

 三行半(ミクダリハン)の由来は、江戸時代の契約書や結婚する時に妻の実家に出す

「嫁をもらいうける旨」の文章が7行だったため、離婚時にはそれが半分に分かれると

いう意味で3行半にしたということだそうです。

三行半の意味をネットで調べると次のように解説していました。

“三下り半の離縁状は、離別状、去状(さりじょう)、暇状(いとまじょう)、隙状(ひまじょう)などとも言われています。

 江戸時代に、庶民が離婚するときは、嫁入り・婿入りを問わず、必ず夫から妻へ交付することが要求された書面です。この書面を書かなければ、夫婦とも再婚することができませんでした。もし、これを書かないで、再婚した場合どうなったかと言いますと、江戸幕府より、男は所払(ところばらい)の刑に処せられ,女は髪をそり親元へ返されるのです。”

 江戸時代の男尊女卑の様子が良くわかりますね。現在はどちらかというと、女性のほうが色々な面で優位になることが多いようにも思われますが、皆さんのご家庭はどうでしょうか?

進化

進化                   2007.5.21


数ヶ月前にNHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」の司会者、脳科学者 茂木健一郎が紹介した、マサチューセッツ工科大学 教授 石井 裕氏の 「タンジブル・ビッツ」には本当に驚きました。

 常々、メールにしてもコンピュータ処理にしても、デジタル的表現に慣れてしまうと、「これで当たり前、それを補完するには他の方法を考えよう」という諦めにも似た気持ちになっていましたが、石井氏の提唱する「タンジブル・ビッツ」は正にデジタルとアナログの融合で、これこそ技術の「進化」だと思いました。

 このような発想の原点を、彼は次のように語っています。

[実は「タンジブル」のオリジンのひとつには、日本の伝統文化があるんです。例えばソロバン。ソロバンの珠は、数字の情報を物理的な実体で表現できる。情報を直接指で操作して計算できる。ところが、現代のコンピュータはどうか。情報の表現はスクリーン上のピクセルで、マウスやキーボードを使って、間接的にしか操作できない。情報に物理的実体を与えて直接操作ができないという大きな難点があるんです。



 そしてもうひとつ、アメリカ赴任前に訪れた宮沢賢治博物館で受けた衝撃です。私は宮沢賢治の「永訣の朝」という詩が学生時代から大好きだったんですが、その肉筆原稿を初めて見ました。私が読んでいた文庫の中で、「永訣の朝」は等間隔の9ポイントの活字で表現されていました。ところが肉筆原稿は、書いては直し、消しては書き、が繰り返されていた。それは、彼の苦悩を静かに物語っていました。インクの軌跡を見つめていると、ペンを握る彼の太い指、ごつごつした手が見えてきました。しみだらけの原稿用紙には、彼の体の痕跡や苦悩のプロセスが塗り込められていました。



 こういう迫力が、標準化・電子化されたテキスト・コードではまったく伝わってこないんです。デジタルの世界は乾いていると思いました。「どれだけ情報を削ぎ落とし、圧縮できるか」という技術効率至上の考えが、「人間的なぬくもりや感動を伝える情報の中身は何なのか」という本質的議論に優先していた。デジタルの世界に欠けているもの。それが今の研究の思想につながっていったんです。]



私たちは、出来ないことの理由付けを懸命にしがちです。出来るにはどうすべきかということについての、研究や努力をせず諦めてしまうことが多くあります。

進化というのは、不可能と思えるようなことに、果敢にチャレンジした結果なのでしょうね。

詳しくは下記のHPをご覧ください。

http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000789

大切なもの                   

大切なもの                   2007.4.20


 私たち日本人は水と空気は「タダ」と思ってきました。井戸を掘れば水は出るし、水道も完備されている。これまでも渇水で苦労するのは稀でした。

水のペットボトルが自動販売機で売り出された時も、こんなもの誰が買うのかと思ったほどです。ところが最近は種々の水が売られており、それもガソリンの2倍の値段です。

 一時期水道水は、カルキ臭がひどく水離れを起こす原因となったようです。

最近の水道水は、全ての施設ではありませんが非常にろ過技術が発達し、市販のペットボトルとほとんど変わらないそうです。いずれにしても水は飲みたければ何処にでもふんだんにあるのが、日本です。

 最近、長年中国駐在大使などを歴任していた、杉本信行氏の著「大地の咆哮」という本を読むと、中国がODAなどによる経済支援によって、毎年10%を超える経済成長し順調のように見えるが、非常に大きな問題は深刻な水不足だそうです。

年間の降雨量は日本の4割程度だそうで、水不足に伴う「水」の争奪戦があります。現在は農業よりも工業に回すことで経済成長を促しており、農業の廃頽とともに森林の伐採などが進み、国土の28%が砂漠化しています。

日本にも春先の偏西風で多くの黄砂が降りますが、中国本土でも大変な環境問題となっています。地方の農民は貧困と水不足に非常に苦しんでいるようです。

水不足による農業の荒廃や、戸籍制度、不平等税制などで、農民と都市部の市民との経済格差が30倍に上るといわれ、大きな内政問題と化しています。

 毎日美味しい水が飲めること、健康で居られること、家族と仲良く暮らすことなど

日頃は、それが在るのが当たり前のように思いますが、それが無くなった時、その大切さに初めて気付くのかも知れません。

豊かな自然と安定した政治の中で生活できる、現在の日本に生まれたことに感謝しなければなりませんね。

生きる                    

生きる                     2007.3.15


ふきのとうが芽吹き、つくしが小さな顔を出す。梅や桃の花が咲き、桜の開花が待たれる3月は、冬の厳しい寒さから待ちに待った春を実感し、何とはなしに心弾む季節です。

 生命の誕生は、動物や植物に限らず本当にうれしく、素晴らしい事だと思います。

私たちも多くの偶然と不思議の世界で誕生してきました。それでも思春期にはなぜ生まれてきたのか?何の為に生まれてきたのか?などと悩んだ時期もありましたね。

 私の住んでいる、近所の大変親しくさせていただいている方の奥様(50歳)が、昨年がんの宣告をされました。ステージ4で全快は不可能であるため、抗がん剤や放射線治療で悪化を最小限にするしか手立ては無く、ご家族は大変苦しんでおられます。

 不安と恐怖で一人でいると全身に震えがくるそうです。最近になって、死とある意味向き合えるようになり、ご主人の休日には一緒に旅行や、ゴルフを楽しんでいると言われます。何時死んでもいいように、家の中はきちんと片付けしているとか。

「たとえ世界が明日終わりであっても、私は今日りんごの樹を植える」(マルチン・ルター)という言葉がありますが、死を実感した時に、残されたわずかな時間をどのように生きるか。その奥様も苦悶し、苦痛と戦いながら懸命に生きておられます。

 私がまだ20代前半の頃、親戚の叔父が私に「お前は親はいつまでも死なないと思っておるかも知らんが、必ず死ぬからそのつもりで居れ」といわれました。

親もまだ若かったしその意味するところは良く理解していなかったと思いますが、改めてそのように言われると、人間何時死んでもおかしくないから、親孝行はしっかりしておけという意味だと思い当たります。

 私たちは、今の日常がずっと永遠に続くのではないかという錯覚に陥ります。

病気、交通事故、天災など様々な災難は予告なく、突然に起こります。

もしかして、明日私たちは生きていないかもしれない。それが現実でもあります。

それが仏教で教える「無常」です。だからこそ今という時間を大切に生きることが大事だといっています。

 祝福され、偶然の中で奇跡的に誕生した私たちの命を、生きている間に悔いの無いように燃焼させ、他の人々の幸福に寄与出来るような生き方が出来れば、生まれてきた甲斐があったといえるのではないかと思います。

 

「夢・目的・目標」 

「夢・目的・目標」               2007.1.20


私は、今年1月で58歳になりました。現役として頑張れる年数も少なくなってきていると実感しております。エクシーズを魅力ある会社にし、次代を背負って頂ける優秀な方にバトンタッチできるようにすることが、これからの私の務めだと思っております。

新年を迎えたのを期に、会社を創業した時の初心を確認する意味で、表題に掲げた「夢・目的・目標」について考えてみたいと思います。

「夢」とは、実現の可能性や手順をあまり意識せず、ある程度漠然とした将来の形を想像したものと言えるでしょうか。小学生の頃“イチロー”や“松井”のような大リーグの選手になりたいとか、医者や幼稚園の先生になりたいといったことが、“夢”でしょう。夢に年齢制限はありませんが、現実を知ることで、徐々に夢そのものが無くなったり、別の夢に変わることもありますが、常に夢は持ち続けることが大事だと思います。

経営者は、右手にロマン、左手にソロバン、背中にガマンの3つのンが必要だとか。

 「目的」とは人生如何に生きるべきかという哲学または、生き様ではないでしょうか。また、企業であれば企業体として、どのような企業であるべきかという理念だと思います。

人にはそれぞれの価値観・人生観・死生観などを持っていますから、例えば「何の為に働いているのか」の問いに対しても、価値観や人生観で大きくその答えは異なると思います。私は仕事をするということは単にお金儲けの為だけではないと思います。

私は、顧客や社会に貢献し、自らも成長するという「プロセス」が仕事をすることの、大切な意味ではないかと思います。

仕事を選ぶ時に、自らの目的に合致しない職業ならば、恐らくその仕事時間は苦痛でしかないように思います。仕事が全てとは当然思いませんが、多くの場合仕事を通じて、社会貢献し、認められることで自らの存在意義を感じるのではないでしょうか。

 「目標」とは、目的を達成する為の指標です。従って目標には際限がありません。会社の売上目標やオリンピックで金メダル獲得など、当面の目標設定を行う事の意味は、それを成し遂げるための計画(人、物、金、情報、手順など)を明確にし確実に実施することにあります。成功とはその目標(計画)を予定通り達成したことをいいますが、たとえ“目標”が達成できたとしても、結果的に本来の“目的”に適っていない状況であれば、それは“成功”とはいえないと思います。目標は目的に向かう為の手段に過ぎないからです。

 

現状の経営が上手くいっていたとしても、当面の目標をクリアしているに過ぎません。

当社の“目的”は企業理念、経営理念に謳ってあるように、社員やお客様を幸せにし、そして社会に貢献し続けることです。

企業経営は、競争原理で存続していますから常に改革改善を続けなければなりません。

 これからも社員一丸となって事業の発展にご協力いただければ幸いです。

ご時世

ご時世               2006.12.12


今年の流行語大賞は、“イナバウアー”と“品格”になったそうな

イナバウワーはプロスケーター荒川静香さんのオリンピック金メダルで一躍有名になり、品格は“国家の品格”というベストセラーで数学者の藤原正彦氏が選ばれた。

 前年は“想定内”と“小泉劇場”というバブリーなイメージだったので、今年はその反動のように美しさや品の良さが評価されたのだろうか。

多数派工作に明け暮れた派閥型政治をぶっ壊した、小泉内閣で確かに政治が判り易くなったことは事実で、旧来の自民党には戻らないと宣言しているが、安倍首相が掲げる“美しい国へ”というテーマは、一体どのようなものか。

 多くの国で森や林を伐採し、戦争や核実験、大量の石油消費などで、地球全体の自然環境が破壊され温暖化が急速に進んでいる。世界でもまた日本でもかつて経験したことのないような、台風や竜巻が各地で被害をもたらしている。

 最近のニュースといえば、学校でのいじめ、親殺し、子殺しなど毎日のように報道され、地方自治体の談合、公務員の不正など等辟易してくる。

森を造る事も、人を育てることも小手先では出来ない。数十年数百年の事業で、すぐに結果が出てくるものではない。

 株主から早期の実績を求められる経営者のような発想では、このような長期ビジョンの施策は出せない。

 “美しい国へ”の理念は素晴らしいが、果たして我々国民がそこまで我慢できるだろうか。ヤンキースの松井選手が、日経新聞で語っていたが「野球とは我慢すること」だと。野球はほとんどが失敗のゲーム。ヒットはせいぜい3割。7割は失敗している。

だから打てる球が来るまでじっと我慢する。打てる球が来たとき確実にヒットできるように日々鍛錬し続ける。それが野球だと。

 私たちの生活は現在とても便利になった。100年前と比べれば夢のような世界だ。

私たちはその便利さを追い求めた結果、即物的、刹那的、結果主義、金権主義、物欲的な発想になっていないだろうか。プロセスを楽しむこと、会話を楽しむことが苦手になっていないだろうか。在るがままを受け入れ、我慢し、工夫し、改善しようと知恵を働かせているだろうか。人を批評する前に、自らを反省しているだろうか。他人のことを本気で心配しているだろうか。

 かつて日本を訪れたアインシュタイン博士やドラッガー博士などは、日本人の質素・勤勉・正直・親切・正義感など人間として本当に素晴らしい国民だと称えてくれた。

現在の状況を作ったのは私たち大人の責任です。政治や他人のせいにせず、これから本当に誇れる日本を築いていくという目標を持って行動しなければ何も変わらないと思う。美しい国を作っていくのは、安部首相でも政治家でもありません。私たちなのだという意識こそ大切なことだと思います。

記念写真

記念写真              2006.11.6


昨年12月、年も押し迫った頃に、初孫が誕生した。

予定では翌年の1月だったが、帝王切開によって予定よりも早くこの世に出てきた。

お医者さんも正月はゆっくりしたかったのかな?と勘ぐったりもした。

このように無理やり早く出てきた子供は、最近流行の生年月日による運勢占いはどうなるのかと心配になる。事実私の場合実際に生まれた日と出生届日が違うのである。この場合運勢占いはやはり本来の出生日日で行うのが、「正しい」そうであるが、もしその事実を知らないで、出生届で占いをしてもらって、間違った占いをされたら、誰が責任を取るのでしょう・・・。私は、元来占いや血液型性格判断など全く信じていないので、どうでも良い話だが、孫の話となるとこれは別で、何だかんだと理由をつけて、この子はとっても性格がいいとか、最高の運勢に恵まれているとかを思わせるものであれば全て信じ込みたいのです。

 孫の誕生からすさまじい程の、デジカメ写真を撮っているが、本当に子供の成長は著しく、数日前の顔と現在が随分と違う。笑った顔や泣いている顔その全ての表情に愛情を感じるのは、やはり血のつながりからだろうか?

これからどれだけ多くの記念写真が撮られるのか楽しみである。

 我が家にはモカというミニュチュアダックスがいるが、これが現在6歳。いい加減良いおっさん犬である。この犬は子供がどこかから貰ってきていつの間にか居ついてしまった。生まれて間もない頃は本当にかわいく、写真も沢山撮った。

 ところが、1年も経つと犬の外形は全く変わらなくなる。従って毎年少しは写真を撮っているが、どれをとっても何時の写真かさっぱり想像できない。

成長の記録として、人間であれば乳児期、幼児期、幼年期、少年少女期、青年期、成人と約20数年にもわたって、その子の成長過程が楽しめる。子供が2人いれば2倍、3人いれば3倍の楽しみがあります。

 年を重ねていくとだんだん写真は少なくなる、特に人の写真よりも景色の写真が多くなるのは、人間を撮っても代わり映えしないので、行った先々の四季折々の写真を撮って後になって、何処へもいけなくなったときに、その写真をみて時間をつぶそうという魂胆か。

 記念写真とは、生きてきた証となるかけがえのない一瞬を記録したものです。その意味で多くの記念写真があること自体、幸せな人生を想像させます。

日々の生活自体は平凡で、ともすれば悩みや苦しみのほうが多いかもしれません。

それでも私たちは、記念写真を撮り続け、鏡のように映るその幸せそうな一瞬を、未来において確かめ幸せな人生であったことを納得させます。記憶に残したいのは、苦しみや悲しみではなく、幸せだったという現実を得たいからかも知れませんね。

理外の理

理外の理                 2006.10.11


世の中には、多くの法律や基準、規定などがあります。

何の為かといえば、世の中の混乱を防ぎ、一定のコンセンサスの中で仕事や生活をする為。ということになるのでしょうか。

 ところが、お役所仕事といわれる「そのような前例はありません」とか「そのような法律はありません」という理由で、庶民が本当に困っていることに手を差し伸べるという、本来の行政の目的を忘れ、規定が無いことを楯に対処しないことがしばしばあります。

 将棋の世界では「名人に定跡なし」という諺があります。定跡は数え切れないほどありますが、プロであれば当然のように知っており、逸脱することは多くありません。

ところが、定跡を逸脱しアマチュアがやるような手を名人が指すことが稀にあります。

そうすると「新手が出た」と大騒ぎになり、大いに研究され、場合によっては新しい定跡にまでなることがあります。

 名人とはそのような尊厳と信頼があります。また、名人ほどの実力なら、定跡に捉われない創造の世界を期待されているともいえます。



 前回「数式の不思議」を寄稿しましたが、その中で鉄骨構造物のCADシステムのお話をしました。顧客は大手鉄鋼メーカで、当時基幹システムを多く開発されていました。標準化が進んでおり、品質管理には異常なほどの管理規定がありました。

バグなどで高炉が停止すれば、何十億の損失になりますので、当然ともいえます。

 当初CADシステムの開発についても、その標準化を適用するように指示されましたが、私は開発する案件の特徴と、開発期間を考え断固反対しました。

 CADシステムは結果の確認が容易にできることと、もしバグが発生しても影響の範囲が少ないこと、またコストパフォーマンスを考えると、標準化が足枷になることを訴え、新たな開発標準のガイドラインを示し、了承していただきました。

また、ユーザサイドから出された、外部仕様書は建築の専門家の書いた仕様書で、ほとんど建築設計書のような類で、コンピュータシステムにどう乗せるか皆目見当がつきません。そこで、新たに外部設計書確認書というドキュメントを作り、入力項目、処理内容、アウトプットの項目を明確にして、承認を得るようにしました。



 私たちの仕事は、顧客の要求を全て正確に理解することと、私たちが理解したことが顧客の要求に合致しているかを確認することが大事だと思います。

当然、マネージャであれば出来ること出来ないことの判断と、顧客の説得も必要です。



 標準化や規定は守るべきものではありますが、固執すべきものではありません。

規定類を遵守することで、場合によっては目的達成の阻害要因にもなります。

標準化や規定はあくまで、目的達成のための手段の一つに過ぎません。

その意味で「理外の理」は常に存在するのです。

数式の不思議 

数式の不思議                2006.9.5


最近小学校で、円周率(π)を3.1と教えるそうです。π=3. 1415926535 8979323846

という循環しない無理数であるところに、πの存在価値があるのですが、そのあたりをキチンと教えているのかが問題なのです。

 私は、数式を使わないと問題解決できない、種々の経験をしてきました。

20歳代後半にあるダムのシステムでは、四方の山々から流出する水量を、シュミレーションして、何時間後にダムの水位がどの程度になるかを計算しますが、ここで使われたのが、タンクモデルという概念の数式です。地形や地質によって又は雨量の多さによって数式の計数が変わります。従って実際に起こった経験値を元に計数を調整する仕組みとなります。また、30歳代半ばの仕事は、鉄骨構造物のCADシステムで、建物を自動作図するというものです。私はそのプロジェクトの責任者でした。

鉄骨はH型鋼やL型鋼など種々の鋼材がありますが、それらの鋼材を使って、工場や、建物の骨格やそれぞれの鋼材の切断面を自動的に設計します。

 柱や梁、屋根など鋼材が接する部位があり、その部位を溶接しますが、鋼材の形状に応じて接触面の形も変わります。またフランジといって補強材を入れることもあります。

私は建築設計が全くわかりませんでしたので、専門用語を理解するだけでも大変でしたが、3次元モデルでの鋼材の形状の接合点を自動的に作図するには、難解な2次元方程式を解く必要がありました。約半年間寝ても醒めても図形が頭から離れず数式と格闘しました。幸にも優秀なメンバーにも恵まれ、そのプロジェクトは大成功しました。

 先日、そのプロジェクトに多少関わっていた友人と話しましたら、現在東京で銀行の投資ファンドのシステムをここ数年携わっているとのこと。これも経済数学を活用した、株式の投資理論で、この理論体系は難解で優秀な研究員と一緒にシステムの生成を行っているようです。そのノウハウを生かして、今は個人的に、流行のデイトレーダ向けのシステムを開発中で、個人投資家の投資志向に応じてカスタマイズできるようなソフトを開発中で、これがあれば、一日パソコンで目を皿にして株式市況をチェックすることなく自動的に、投資案件を抽出しデイトレードできるとか・・・

 さて、18世紀最大の数学者レオンハルト・オイラーが発表した、オイラーの法則

eπi+1=0   をご存知だろうか

πは円周率で終わりの無い無理数。iは√-1で虚数。そしてeとはeを何乗すれば与えられた数が得られるかという指数を考える。つまりeは自然対数の底である。

eを求める計算式は

e=1 + 1/1 + 1/1*2 + 1/1*2*3 + 1/1*2*3*4 ・・・

これからオイラーが算出した値とは

e=2.71828182845904523・・・というどこまでも続く無理数

では一体eπi+1=0の意味するものとは?・・・正に神秘的な数式だと思いませんか

退屈力

退屈力                    2006.8.20


文藝春秋7月号に、子供に「退屈力」をつけよ 明治大学教授 斎藤 孝 氏の記事が出ていた。退屈力とは何か非常に興味をもって読んだが、実に面白い発想なのでその一端をご紹介します。

 現在の日本社会は、退屈が極端に嫌がられる時代である。常に何か面白いことは無いか捜し求め、世の親は子供に退屈させるのは悪いことだと考えているのか、子供にもほとんど毎日塾やお稽古事に行かせる。退屈を嫌悪するそうした欲求に応えようと、退屈を紛らわせるための刺激が世に満ち溢れている。テレビは最大の退屈しのぎだが、製作側も視聴者を釘づけにしようと、刺激的な映像や言葉を乱射し続ける。またお手軽なパチンコもギャンブル性が強くなり、パチンコ依存症が大きな問題となっている。

 人間へ最も刺激のある薬物も、国会議員や自衛隊などにも及び戦後三度目の覚せい剤乱用期と言われている。また、ゲームソフトやインターネットもパソコンの前で長時間に渡り刺激を与え続けられる。

 人間が興奮すると、ドーパミンが脳内に分泌される。それが止まらない状態が続いて、ある臨界点を超えてしまうと、ドーパミンが出ないことに耐えられなくなってしまうという。これが依存症である。外からの刺激が多すぎると、自ら積極的に考えるという脳の働きを活性化できなくなる。その結果、粘り強さに欠け切れやすい子供が育つ。

「幼年時代の喜びは、主として、子供が多少の努力と創意工夫によって、自分の環境から引き出すようなものでなければならない」といっている。

日本の伝統の剣道や空手などは、最初は退屈極まりない「型」を繰り返し繰り返し練習する。単調な型を繰り返すことで、わずかな違いが見えてくる。「耐える心」と「とぎすます心」の二つを養ってくれる。

では子供の「退屈力」を養成するにはどうすべきか。禅の修業や、武道や伝統芸能に取り組むにはそれなりの環境が必要で、誰でも出来るわけではない。

日常の生活の中で、積極的に「退屈力」を鍛える方法がある。それは「勉強」だ。

「勉強が楽しくて仕方が無い」という子供はほとんどいない。だからこそ最適なのだ。

 医療少年院の精神科医は、少年少女たちの更正のため、外部の刺激を断ち切り、極めて単調な日常を繰り返し、退屈な日常をあえて彼らに課している。そして読み書き、特に「書く」という、自分で何かを生み出す作業を奨励しているといいます。

 子供は本来「退屈力」を持っている。幼児は何度も同じ絵本を読んで聞かせても飽きることは無い。むしろその度にすでに自分の知っている世界を確認しながら、そこに深く入っていくことが楽しいと感じている。現在は急激な変化の中でそれについていこうと浮き足立っている。しかし低刺激でややもすると単調な日々の繰り返しこそが「人生の本質」でありその退屈の中で自分に向き合う時間こそが大切ではないだろうか。

外部からの刺激を一方的に受けるのではなく、それをコントロールしつつ自分の中で徐々に培われていく感性は、これからの社会の中で、より価値の高いものになっていくだろう。

勿体ない                    

勿体ない                    2006.6.20


私の生まれた1949年は、戦後間もない物資のまだ乏しい時代でした。

田舎にいた所為もあり、普通の食事には大きな問題はなかったのでしょうが、両親の話では、お乳があまりでず、私は早くからお粥のやわらかいものを食べていたようです。

そのためか、小さい頃から病気ばかりで両親が片道20キロの道を病院まで歩いて通ったといっていました。

6歳の時に妹が生まれ当時森永の粉ミルクを家で買ってあったので、こっそりと飲んでいました。粉を直接口に入れると、とろりとしてとても美味しかった記憶があります。後で知ったことですが、その粉ミルクは1955年に森永ヒ素ミルク事件として、食の安全性が問われる第一号事件になりました。

7人の大家族で育ったため、両親よりも祖父母や曾祖母の影響が大きかったようです。

食事の時にキチンと正座し、食べ残しをしないように躾けられました。「頂きます」や

「ご馳走様」は、生きていたものを食することへの感謝をすることだと教えられました。

 物を大切にし、無駄にしないという習慣は、ほとんど物資がなかった時代の私たち祖先の知恵だったのだと思います。

 ノーベル平和賞を受賞した、ケニアの環境副大臣のワンガリ・マータイ女史は、日本の新聞社(西日本新聞)の方から学んだ、日本の美徳の真髄とも言える言葉“もったいない”を世界に通じる環境標準語にしようとしています。

 “もったいない”に変わる最適な訳語が、他国にはないようです。

漢字では“勿体ない”と書きますが、これは“物”から牛偏を除いた漢字で、“勿体ない”は物の本体をなくすこと という意味だそうです。

もったいないには、「良すぎる」とか「不経済」と言うだけに留まらず、「申し訳ない」

の心があり、それは何に対する申し訳なさかといえば、「お陰様」にたいするもので、お陰様とは、「他人の助力、援助」や「神仏の助け、加護」という意味だと思います。

 お釈迦様は、この世で最大の殺生は何かとの問いに対し、「時を無駄にすることである」と説いたそうです。

時を無駄にするとはなんとも“勿体ない”。時は金なりではなく、“時は命なり”で

自ら時を大事にしないことは、自分自身への殺生であると。

 自らの人生の夢・目標を達成するための時間は限られています。計画し実行しない限り、その夢を実現させることはできません。

日本には月、火といった「七曜」と先勝、大安といった「六曜」があります。

祖先はこうしたものから吉凶を占い、時を大切にする生活の知恵を編み出したのでしょう。

屋久島

屋久島                    2006.7.10


結婚30周年と家内の誕生日をまとめてお祝いしようと、これまでしたことのないイベントを、6月下旬で梅雨真っ盛りの最悪の時期に、屋久島へ旅行しました。

 福岡を出る時は当然のように雨に打たれ、鹿児島空港でも雨と予想通りの展開でしたが、屋久島に着いたとたん快晴で幸先の良い初日となりました。

 なぜ屋久島かといいますと、福岡県中小企業家同友会のメンバーの専務さんが大変な屋久島フアンで毎年必ず行かれており、何度か島の素晴らしさを語っておられた為、それでは一度行ってみようと思っていたからです。

 専務さんにどう島を回ったらいいか訪ねたところ、懇切丁寧に観光の日程に合わせて、見所や宿泊場所、レンタカーは何処がいいなどきめ細かく教えていただきました。

屋久島は、月に35日雨が降ると言われるくらい、雨の多いところですが3日間とも快晴で、梅雨の時期を考えるとまさに奇跡のような好天に恵まれました。

これも一重に日頃の行いの良さの賜物でしょうか?・・・

 屋久島はご存知のように島の20%が世界自然遺産に登録されており、標高1000Mから18000Mの山々には、野生の鹿や猿なども生息しています。

樹齢7200年といわれる縄文杉や屋久杉などの巨大杉が林立し、鬱蒼とした杉木立の懐は一面コケで覆われており、数千年に及ぶ自然の営みの中で、脈々と息づき死生を繰り返しながら現在にその姿を現してくれています。

屋久島の森の中は、木や枝や葉がおい繁り夏でもひんやりとするほど暗く湿気に満ちています。台風や自然枯死、人間による伐採などにより所々に明るい空間(ギャップ)ができると、そのギャップ内に太陽光線が良く届くようになり、森の地面(株床)や倒木、切り株の上に種子が発芽します。やがて種子は成長してこのギャップは塞がれ再び元の枝や葉が覆い繁った暗い森に戻る。このような世代交代をギャップ更新というそうです。

杉の木は真っ直ぐに天空に向かって伸びてゆきますが、中には大きく曲がったり、割れたりしている杉もあります。これは杉に寄生する鬘や樹木の為で、養分を貰って生きてきた杉を最後に枯れさせてしまいます。森の中で壮絶な戦いが、何百年もかけて行われてきたことを思うと、静寂で心地よい森が、全く違った世界にも見えてきます。

森が生き続ける為にはギャップ更新が必要なように、人においては新陳代謝が欠かせませんし、企業が存続し続けるには、環境に対応すべき様々な改革が必要です。

屋久島は森以外にも、満天の星空や紺碧の海は素晴らしく大変良い休養になりました。

さて、いよいよ来月から当社の新年度が始まります。

企業の発展のため、皆さんの知恵と工夫を生かして改革を推進していきたいと思います。

社員一丸となって頑張ってまいりましょう。

付加価値

付加価値                   2006.5.20


先日、養鶏場を経営している社長と話す機会がありました。

最近は鳥インフルエンザなどで、環境衛生にはかなり気を配っているようです。

特に暑い夏はニワトリにも厳しい季節のようで、大型扇風機は欠かせないといいます。

 ニワトリの卵は1%程度血卵が出るようです。血卵を買った消費者からはかなり厳しい怒りの言葉があるようで、血卵を減らすことは信用の向上になるようです。

その社長はどうやったら血卵を少なく出来るかを研究した結果、海草を餌に混ぜることで血卵が半分に減ったそうです。最近ヨード卵といって50円程度高い卵が出回っていますが、これは海草を混ぜた餌を食べさせているに過ぎないようで、原価は数銭程度上がるだけで、なぜ50円も上げるのか不思議だと言っていました。

 また、BMWという水を飲ませると、ニワトリの難病が回復したり、健康になるようで、良く飲ませているそうです。人間にとっても健康に良いと言っていましたので、私も一口飲みました。味も素っ気もありませんが少し黄色い色が付いています。

 実はこの水は豚の小水から作ったもので、偶然病気が治ったことで、今その社長は全国を講演して回ってその効用を養鶏経営者などに説明しています。鶏舎の匂いも少なくなるようです。また、面白い話で、ニワトリにも“おかま“が存在するようです。

養鶏に必要なのはメスだけですが、時々メスに間違えられたオスが入り込むと受精してしまい、売り物にならないた卵が出来るそうで、これにもかなり気を使うようです。

どんな事業にも難しさがあるものだと思いました。

 最近は健康食品やエステなどの商売がはやっていますね。中にはチョット怪しげな業者もいるようですが、福岡のやずやさんなどは大成功しました。

表題の“付加価値”ですが、辞書でその意味を次のように定義しています。

“付加価値(ふかかち)とは、ある「もの」が有している価値と、それを生み出す元となった「もの」の価値との差のことである。一般的に、何らかの「もの」を使って新しい「もの」を生み出すと、元々の「もの」より高価値な「もの」となる。このようにして高価値となることについて「価値が付加される」という意味合いで、「付加価値」と呼ばれる。”とあります。

 私たちはある物を買うときに、その価格基準を市場価格や主観で決めます。

マンションを買って数年後市場価格が値下がりし、隣の人が半値で買っても何処にも文句が言えません。買ったときの市場価格や主観で買い時と判断したのは本人だからです。

 このように物には本来(真)の値段などというものは存在しないことになります。

買う人が判断した価格が値段です。その意味で、アラブの商法は理が通ります。

 私たちの事業においても、価格を提示するときにXX社であれば当然という、顧客の信用があれば価格は二の次になる可能性があります。何処よりも良いサービスと品質を“価値”として、リーズナブルな価格を設定することが商売の原点でしょう。

日本人とユダヤ人 

日本人とユダヤ人             2006.4.12


イザヤ・ベンダサンという日本在住のユダヤ人が、約30年前に「日本人とユダヤ人」という本を著し、大ベストセラーになりました。たまたま本屋で見つけたので懐かしさもあり、また最近では中東関連のニュースが流れないことがないくらい、アラブ人やユダヤ人が身近な存在になったと感じておりましたので、読み返してみました。

 その中で日本人は過去の歴史を通しても、世界でも稀な平和国家であるといっています。戦争と略奪の歴史を繰り返した、多くの国々から観れば日本の戦国時代などは、ほんの一瞬に出来事であり、歴史的に記述するほどもない程度だと述べています。

ユダヤ人のように国を追われ、国家というよりどころがなくなった浮浪の民が、第一に投資するのは安全であり第二に同胞との助け合いだといいます。ニューヨークで高級ホテルに宿泊し続けるのは、そこが最も安全な場所であるからで、決して贅沢をしているわけではなく、日々の生活は実に慎ましやかだと。また、同胞との助け合いは、誰からも保障されない安全と生活を得る手段であると。

 考えてみれば、もし日本人が国を追われ世界に散らばった民族になったとしたら、恐らくユダヤ人と同じような価値観や生活スタイルになっていたかも知れません。

ユダヤ人は人的ネットワークと頭の良さで世界中の経済の中枢を握るようになり、ドイツをはじめとした人種差別の対象となり、アウシュビッツなど不幸な歴史を刻んできました。イスラエル建国が決定した時、聖書に、「ある日空を飛ぶ乗り物に乗って、祖国へ帰る」とあり、2000年待ち望んだ日がようやく来たと、世界中のユダヤ人が粛々と飛行機に乗り込んだといいます。

 私達日本人が待つという概念は、2,3日とか2,3年というところでしょうが、彼らの待つは2000年でも構わないようです。

そこにあるのは神との契約を前提としており、神に対する全幅の信頼があるように思います。

 一方日本人の宗教観はどうかといえば、人間教と言っています。人は如何に生きるべきか、人間としてどのようにあるべきかを問うており、神仏には依存しない正に「人間教」で、その最たる人物として西郷南州を上げています。

 西郷は「敬天愛人」ということを次のように述べています。

・ 道は天地自然の物にして、人は之を行うものなれば、天を敬するを目的とする。

・ 天は人も我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以って人を愛するなり。

・ 人を相手にせず、天を相手にせよ。

・ 天を相手にして、己を尽して人物を咎めず。

・ 我が誠の足らざるを尋ぬべし。

日本人のアイデンティテーは、正にここにあると思います。忘れかけていた「如何に生きるべきか」を再認識した次第です。

素直な心

素直な心                  2005.8.13


FISA(福岡県情報産業協会)主催の、工場見学に行ってきました。熊本県のSONYセミコンダクター(株)と再春館製薬です。SONYはデジカメやプロジェクターなどのICチップを作っており、クリーンルームでの作業が基本ですから、工場見学といっても小窓から中をのぞく程度で、あまりよくわかりませんでした。



一方再春館は、非常に広い工場とコンタクトセンターを見学しました。

工場は、製品の製造工程から梱包、発送に至る全てを見ることができました。敷地内は広々としており、花や木々が多く大変環境のよいレイアウトになっていました。工場は、太陽発電システムを完備し総電力の25%を自家発電で賄っているようです。

 

コンタクトセンターは、顧客とのテレマーケットを行う部署で本社機能もここにあります。会議室以外は広いオープンスペースになっており、約400人くらいが2交代で働いていました。女性の割合は8割だそうで、華やかでした。



コンピュータ画面の顧客情報を見ながら電話対応するオペレータや、法被を着て指示を出す女性中堅社員、またオペレータの前方で高段からオペレータ全員をシステムの状況と各人の行動を把握しながら細かく支持を出すマネージャなど、始めてみる光景で驚きました。この会社は元々漢方薬を販売する会社でしたが、1985年頃に事業がうまくいかず、現会長の西川氏(女性)が経営権を取り再建させたようです。

テレマーケティングでその後業績を伸ばしたものの、1993年頃執拗な電話勧誘などで顧客の反感を買い、業績が悪化したようです。

 

本当の意味で顧客満足とは何かを真剣に考え、大きく方向転換し今があると説明がありました。1993年当時の返品の山をオブジェとして、本社のエントランスに飾ってありました。過去のお恥ずかしい歴史を忘れないようにとのことでした。社内は種々の顧客からのクレームや感謝の言葉などが張られており、グラフやレクレーションの写真、表彰などが貼られ、幼稚園の教室のような雰囲気で飾られていました。システムには個人情報保護の問題もありかなりシビアに管理しているようです。名前と住所を確認すれば自動的に住所が画面から消えるなどの方法を取っていました。

 

私が特に感銘したのは経営理念です。顧客満足、社員の幸福、地域への貢献をテーマに着実に実績を重ねています。また、非常にオープンで全ての原料や、製造方法なども写真で取ることもできるなど、企業秘密といえるものはないと言い切っていました。 

失うもの                

失うもの                2005.8.13


2005年の11月に発覚した、構造設計に問題のあるマンションやホテルを建設した施工主、施工業者、建築設計士及び監督機関などが互いの非を論い、自己の責任を逃れようとする各社・各人の模様がテレビなどで連日報道されました。

震度5程度で倒壊するような建物を建て、平然と暴利を貪ろうとする経営者や技術者のモラルはどこにあるのか。恐らく多くの視聴者は憤慨したに違いありません。

 中国では豆腐摩天楼を日本で建てたとビッグニュースになったとか。日本の技術や信頼は世界でも冠たるものがあり、その意味では日本の産業への醜聞でもあります。一生に一度の大きな買い物が、トンでもないまがい物で使い物にならない上、借金だけが残るという悲惨な状況は人ごととは思えません。

 施工主のヒューザーは、ヒューマンとユーザから来ているそうで、社名は大変素晴らしいと思いますが、企業理念や社会貢献に対する経営者の方針はどうだったのでしょうか。まさかヒューマニズムとユーザを食い物にして金持ちになろうと考えたのではないのかと疑わしくなります。

 アメリカ社会では事業の失敗には寛容で、むしろ失敗のノウハウを評価しチャレンジするチャンスを与えられることがあるそうですが、それはあくまで経営手腕や、人的ネットワークを評価されてのことであり、反社会的な思想や事業に対しては非常に厳しく、それ故に日々の活動や考え方に対し自らを律することが大切だと痛感します。

 覆水盆に帰らずといいますが、長年にわたり折角築いてきた名誉や財産を一瞬にして失うことがあります。

火事や、地震、倒産など様々です。物やお金はその後のがんばり次第で取り戻すことは可能ですが、命だけはどうにもなりませんね。逆に言えば命さえあれば挽回のチャンスは必ずあると信じ、懸命に生きるしかありません。



人生には多くの喜びやたくさんの贈り物がありますが、同時に多くのものも失うことを経験します。

祖父母、両親などとは恐らく悲しい別れを経験します。病気や事故などで妻や子供との別れもあります。私たちは幸せを求め、お金や名誉や信用を手に入れたいと考えるのですが、本当の幸福は一瞬にしかないのではないかもしれません。ところが、苦労して勝ち得た地位や名誉やお金を離したくないというように考えると、途端に幸せではなくなることがあります。スポーツなどにおいてもトップになると今度はそのトップの座を守ろうとしますが、トップの座を守ることほど難しく、厳しいものはないといわれます。

 また、お金持ちが金に固執し友人や、親戚縁者との関係を悪くしたり、挙句は相続問題で骨肉の争いが勃発することも稀ではありません。お金持ちだから幸せとは限りません。

気配り

気配り                  2005.8.13


元NHKアナウンサーとして活躍していた鈴木健司さんが「気配りのすすめ」という本を出していましたが、「気配り」は、私たちの生活を豊かに円滑にするための潤滑油と思います。

朝の挨拶にしても、明るく元気よく「おはよう」といえば、さわやかな感じを多くの人に与え、何となく気持ちが晴れる。逆にもぞもぞと言ったり、無言であれば沈んだ雰囲気になる。家庭においても朝から子供に「早く起きて」としかるより、スキンシップや冗談などを言いながら子供と接するほうが、子供の情緒には良いに違いない。

言葉や歌だけで人をいい気分にさせたり、笑わせたりする事ができる漫才師や歌手などはひとつの芸であり、それなりの準備や練習を積んでいると思われます。

「はじめに言葉ありき」は聖書のヨハネ伝、第一章、第一節にある言葉だが、言葉は(ロゴス)=理であるといっています。すなわち真理を言葉という道具を使って広めていきましょうということだと理解しています。

言葉を発するのに、原価はかかりませんし重労働でもありません。言葉ひとつで人を傷つけることもあれば、幸せな気分にさせれことも出来ます。言葉を大切に効果的に活用することで、仕事だって上手く行くことがあります。

私たちの仕事は、基本的に言葉だけで商売していると思います。もし言葉を使わないでこの商売ができるとしたら、画期的なビジネスモデルになります。

お客様との仕様確認、クレーム、開発メンバーとの打ち合わせや指導など様々なコミュニケーションが錯綜し仕事を進めていきます。勘違いや報告漏れなど日常茶飯事に発生します。コミュニケーションを十分にとり齟齬がないように、マネージメントするのがマネージャのミッションでもあります。が、どうしても上手く行かない場面が出現してきます。その時に取るべき「気配り」とは何でしょうか?

これまで誠心誠意を尽くし頑張ってきたということが前提にはなりますが、人間には「ミスはつき物」という開き直りではないでしょうか?例え上手く行かなくても、世の中そんなに変わるものじゃありません。人を責めてもミスは戻りません。

大事なことはまず過ちを過ちと認めることであり、同様の「間違い」を二度と起こさないようにすることです。「失敗」がなぜ起こったかどのようにすれば「失敗」せずにすんだかという「知恵」を「財産」にすれば、失敗は失敗ではなくなります。

結果だけで評価し人を叱ったり指導するのではなく、プロセスに注視し「段取り」「考え方」「指導の仕方」をリーダやマネージャに対しコーチングすること必要だと思います。

マネージメントの「M」はMonitor ではなく Man(人)Materials(物)、Money(金)とMotivation(動機付け)だと思います。これらをコントロールすることがマネージメントだと思います。

特にMotivationは日頃にちょっとした「気配り」でいくらでも高揚できます。

気配りをもった言葉使いが、成功を導くものだと思います。

読書その2

読書その2                2005.9.16


 三島由紀夫が割腹自殺後どんな人間なのか興味を持ち、小説やエッセイなど色々と本を読みました。大変優秀で大学卒業後大蔵省に父親の説得で入省したが、作家としても仕事をしており、ある日眠気に襲われホームから落ちたそうです。それでようやく大蔵省を辞めさせてもらったといいます。文学界では「雪国」で一躍有名になった、川端康成がいますが、世評ではノーベル文学賞は三島が第一候補だったそうですが、先輩格の川端を立ててノーベル文学賞を決めたとの話が当時ありました。

 三島と川端の関係もなかなか面白く、ある日三島のお母さんと川端と3人で電車に乗り旅行をしたそうですが、川端のあの鋭い視線をお母さんに投げかけ、まとわり付くように見られたと、お母さんが三島に話したそうです。お母さんもかなりの美人だったらしく、好色の川端ならさもありなんと合点したそうです。

 蛇足ですが、三島の割腹自殺の折には現場検証などに川端も行ったそうです。当然ながら、この事件以降三島のノーベル賞の話は消えました。その後、川端は若い女性との恋に破れ自殺します。そのマンションは逗子にありましたが、当時私も横浜に住んでいましたので、わざわざそのマンションを見に行った記憶があります。ミーハーですね。

 さて、最近読んだ本で一番面白かったのは、塩野七生の「ローマ人の物語」です。

単行本で20巻あります。20巻の表紙にはローマ帝国で使われていたコインが描かれています。紀元前753年にロムルスと3000人のラテン人によって建国されたローマ帝国の1000年に及ぶ興亡を仔細に描写しており歴史の縮図を観る思いです。

 この物語を読んで感じたことは、2000年近く前に既に民主主義が発達しており、

民意を反映しない皇帝は追放されるという事実。ローマ人は他国を併合しても、その国の文化や宗教を尊重し、積極的に取り入れていったこと。ローマの良さを認識させるため、属国の貴族の子供を留学させ、教育したこと。税金は非常に安く効率的に(民間に徴収を委託)行っていたこと。位の高い人は公共の事業(道路や下水道など)を私費で行い、社会貢献していたこと。

ローマ人というと遠い世界の人のように感じていましたが、その思想や暖かさは正に日本人ではないかと思われるくらいでした。

また物語の中で、昔理科で出てきた、アルキメデスが戦場でその才能を発揮し活躍したという話は、読んでいてとてもメルヘンチックな気分を味わいました。

 ローマ帝国が栄華を極めた頃には、既に滅亡への第一歩が踏み出されており、民意を無視した傲慢さや、汚職・不正などがはびこり、人々が互いを信頼できなくなるような状況になり、瓦解への道は避けられなくなったのです。

 政治も、企業も誠実に誠意を持って、民意や社員に応える努力を続けることが大事なことだと、歴史は教えているように思います。

読書 

読書                   2005.9.16


 天高く馬肥ゆる秋、食欲の秋、読書の秋、などといわれ10月から11月にかけての気候は日本で最も良い季節です。この季節は、何といっても自然を満喫しに外にどんどん出て行くのが良いのではないでしょうか。読書はもう少し寒くなって外に出るのが億劫になる冬場のほうが良いと思います。

 私の趣味の一つは読書ですが、読書家といわれるほどのものではとてもありません。

せいぜい月に3、4冊程度ですから本当に趣味程度です。本を読むことに興味を覚えたのは、本格的には高校生の頃です。友達に本屋の息子がおり、当時発禁本といわれていた、金瓶梅やセクサスなどを何故か試験前に持ってきて、面白いから読んでみろといわれ、徹夜で読んで試験の最中寝てしまったことなどが思い出されます。

 田舎で育ったせいもあり本当に何も知らない高校生でしたので、本屋の立ち読みほど多くの知識を貰ったところはありません。実にお恥ずかしい話ですが、子供がどうして出来るのか確信できたのはこの頃で、今思えば本当に知恵遅れでした。

 高校生のときに感動し涙が止まらなかった本は、ナポレオン伝記でした。なぜあれほど感動したのかわかりませんが、そのことだけは覚えています。高校の頃は少しませた本を読んでいたように思います。主に外国文学です。ただ読んでいて何となく心に響かないものがありました。当時は気づかなかったのですが、やはり時代背景や習慣、文化など全体的な知識が十分に理解できていなかったからだと思います。大学生になり日本文学を主に読むようになりなした。森鴎外、芥川龍之介、夏目漱石、武者小路実篤など有名作家が中心ですが太宰治の作品はどうしても好きになれませんでした。

 その中で何といっても司馬遼太郎の小説を一番多く読みました、100篇以上は上梓されていると思いますが、恐らく7割以上読んでいると思います。時代背景と主人公の特徴ある描写がわかりやすく、ドラマチックな劇画を見るような小説でとても面白いです。また、多くのエッセイもあり魅力的な作家です。

 大學4年生のとき三島由紀夫が、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で楯の会の同士数人と駐屯地を占拠し、国民に向かってメッセージを発した後、割腹自殺を図ったニュースが飛び込み驚きました。実際三島は、古式に則り切腹を行ったようです。本来の切腹の作法は、お腹を軽く割き,介錯によって首をはねて絶命させるのですが、三島の場合、余りにも深く切り裂いたため、首が早く折れたためあわてた隊員が何度も首に切り傷を残したようです。三島といえばナルシストで金閣寺や潮騒などに代表されるように、どちらかといえば女性的な作家と思っていたので、このようなことをする人とは思いもしませんでした。

三島の遺稿となった、春の雪、奔馬、五人天衣、豊饒の海は4部作で輪廻転生を描いたものですが、テーマは「無常」だったように思います。三島は日本人としてのアイデンティテーや尊厳がスポイルされていくような虚無感に襲われていたように思います。

 剣道の達人であり、ボディビルダーであり、あらゆることに挑戦し一流になっています。

台風

台風                  2005.9.15


 最近の日本は、地球温暖化に伴い亜熱帯型の気候になってきているようです。

突然のスコールや台風が以前にも増して多くなっているように思います。

 台風は毎年のように猛威を奮い、住宅や農林業への影響も大きく、九州では梨、ブドウ、柿などが丁度収穫の前あたりに到来し、大きな被害をもたらしています。

 台風は本当に来てほしくないものではありますが、その昔元寇の襲来があり、あわや日本も占領されるかという時に、大型台風によって元寇の大船団が一気に沈没し、日本を救ってくれました。その意味で日本人にとって台風は「神風」なのかもしれません。

 ところで2005年8月末に、アメリカ南部を襲ったハリケーン「カトリーナ」による死亡者は600人を超えたそうで、それも貧民層が多く逃げるに逃げられない状況だったようです。ブッシュ大統領はその対応策に問題があったと謝罪していましたが、アメリカの人種問題の一端がはからずも出たように思います。ルイジアナ州ニューオリンズといえば、ジャズでも有名なところで、昔「あの娘はルイジアナのママ」と歌ってました。

小休閑話

 ところで、台風とハリケーンの違いわかりますか?新聞記事がありましたのでご紹介します。

 “ハリケーンも台風も熱帯低気圧が発達したものですが、発生する海域によって呼び名が違い、厳密な定義も少し異なります。呼び名は、北大西洋や北東太平洋ではっせいすると「ハリケーン」となり、北西太平洋だと「台風」に、インド洋だと「サイクロン」になります。同じ北太平洋でも東西で二分され、日付変更線より東では「ハリケーン」

に、西では「台風」になるわけです。ハリケーン「カトリーナ」は、北大西洋で発生。

米国フロリダ半島に上陸後、メキシコ湾を通って、ニューオリンズ付近に再上陸しました。北東太平洋のハリケーンが日付変更線を越えて北西太平洋に入ると、台風に変わります。1999年の台風11号などがその例です。

 ハリケーンの定義は、中心付近の最大風速64ノット(約33メートル)以上の熱帯低気圧。これより弱く、最大風速34ノット(約17メートル)以上で64ノット未満の場合は、「トロピカル・ストーム」と呼ばれます。

 一方、台風の定義は、中心付近の最大風速34ノット以上の熱帯低気圧。つまり、ハリケーンとトロピカル・ストームの両方を含むような概念です。ハリケーンに相当する最大風速64ノット以上だと、台風の強さの分類では「強い台風」になります。

 また、英語の「タイフーン」は、ハリケーンと同様に最大風速64ノット以上のものを指すため、タイフーンと台風はイコールではありません。

 カトリーナは「超大型」ともいわれますが、大型の台風14号より暴風域(風速25メートル以上)が小さいなど「超大型」には疑問符が付きます。

 気象庁は「大きさと強さが混同されているかも」。ただ被害が超大型だった点は疑問の余地がありません。“と東京新聞の記事でした。

変身願望

変身願望                 2005.9.5


童謡の「赤とんぼ」で“夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か”とありますが、私はずっと“追われていたのは“と思っていましたし、「ふるさと」では“ウサギ追いし かの山”を“ウサギ美味し かの山“と思って歌っていました。

 赤とんぼは追いかけていましたし、ウサギは祖父がしょっちゅう鉄砲で野うさぎを取ってきて食べていましたので、ウサギは美味しいとしか浮かばないのです。

このように私たちは、小さい頃からの生活習慣や経験からくる、ある種の概念が自然に形成され、条件反射的に反応するようです。

 男は黒や青色系、女は赤やピンク系の洋服に自然と目が行くのは、小さい頃から親から与えられる性別の色を自然に身につけた結果でしょうか?

しかし、このような自分の意思とは関係なく常識化された物事に対し、反感を持ちそれに反抗したいという気持ちは差こそあれ誰にでもあると思います。

今までの自分に決別し、新しい自分になりたいという変身願望は、ある意味で現実を逃避し空想の世界に一瞬でも身を置きたいというロマンの世界といえます。

整形手術や洋服、かつら等で外見的に変えることで一定の満足は得られますが、それだけで満足できず、他者を引きずりこんで変身願望を遂げようとすると事件になります。西村京太郎の「変身願望」は、人間のもつそのような欲望を小説にしたものです。

 私が大学生の時に、女装して街中を歩く学園祭がありました。デパートの化粧品売り場で化粧をしてもらい、かつらを付けて、スカートをはきました。

鏡を見たときは、へどが出そうになりました。何という格好をしているのかとあきれます。恥ずかしくてとても歩く気分になりませんが、勇気を奮い起こし町に出ました。

 何気なく通り過ぎる人が、すれ違ったとたん振り返ります。こちらも振り返ります。

そのときの相手の驚きが、無性に面白くなって調子に乗って歩いたことを思い出します。

変身とはまさに、自らの心の変化「変心」で完結するのではないかと気が付きました。

整形手術で顔がきれいになり、自分に自信を取り戻し、積極的になる「変心」は本人にとって幸せなことです。身なりを綺麗にし、町を歩くのは誰しも気分の良いものです。

舞台や、映画で現実の自分とは違う役を演じ、喝采を浴びることは、変身した役柄に対する評価で、役者冥利に尽きるのでしょう。

私たちも何らかの形で「変身」しています。素のままということはほとんどないといえます。サラリーマンとしての行動や言動もある種の「変身」ではないでしょうか?

日頃行っている「変身」に疲れ、本当の自分に戻りたい。そんなこともありますね。

「変身願望」は、現実の生き方を振り返り、本来の自分自身に素直になれるように「変心」し、日々を充実して過ごしたいという心の叫びなのです。

姨捨山

姨捨山                  2005.9.2


 学生時代一人旅が好きで、北海道や北陸など色々なところを旅したことがあります。

妙な趣味があり、民芸品売り場で“草鞋“を買い、それをはいて舗装していない道を歩き、幕末信じられないくらいのスピードで全国を駆け回った坂本竜馬の気分を味わおうと試みました。草鞋の歩行がどれほど大変かよくわかりました。まず、足の指先に盛んに石ころが当たって痛いことと、駅の便所など水があると、毛細管現象で足がびしょぬれになることです。ただ、非常に軽く靴よりもはるかに軽快でした。夏の舗装道路は思った以上に高温になっておりとても歩けるものではありません。

JR篠ノ井線に姨捨駅があります。善光寺平を一望する日本三大車窓の一つといわれます。姨捨山は全国に600箇所くらいあるそうで、昔は口減らしのため生まれたばかりの子供を川で溺死させたり、身売りをしたり、老人となれば姥捨山に捨てるといった、悲しい歴史があります。姥捨伝説は、親をどうしても捨てられなかった男が、老人の知恵で褒美を貰ったという親孝行の物語です。

 私には92歳になる祖母がいます。20歳前に嫁入りし、田舎で姑(私の曾祖母)にいじめられ、随分苦労したようで、ほとんどその田舎から出たことがありませんでした。

祖母は、私が未だ小さい頃はよく大きな寝言を言っていました。悲しいことが多かったのでしょう。私はその祖母が大好きでした。私や、子供たちへも少ない年金を貯め、小遣いをくれたり、色々な野菜を沢山作ってくれたりと兎に角人に親切でした。

先日、どこから聞きつけたのか、介護付きの老人ホームがあるのでそこに行きたいといい、両親が連れて行きました。

 両親としては一緒に暮らしたいのですが、祖母としては、足腰も弱く耳も遠く、何かあると家族に迷惑がかかるし、日頃の面倒も大変だろうと、老人ホームへ行くことを決心したようです。未だ頭もはっきりしており、私が子供たちを連れて行くと本当に喜んでくれます。長生きはしてほしいのですが、今が幸せかどうかわかりません。私に出来ることは、子や孫を連れて行き一時の会話を楽しませることぐらいでしょうか。

 姨捨山は恐らくほとんどの老人が、自分さえいなければ食べ物が沢山食え、家族の幸せがかなえられると思って、その山に捨ててくれと頼んだのでしょう。

私たちの幸せは、肉親以外にも多くの人達の思いや、犠牲があって今があるように思います。この幸せを噛み締め、今度は私たちが後世の人達に幸せを贈れるようにしたいと思います。

 現在会社経営していますが、一筋の道筋を付けられれば、老人の跋扈と揶揄される前に、さっさと姨捨山に行こうと思います。

個性

個性                   2005.8.13


日本は農業民族で、決められたことに忠実でみんなで取り組むという美徳を持っている。Japan as no.1 といわれる所以である。といわれたことがある。

日本は戦後、新日鉄、ソニーやトヨタなどをはじめとする世界に誇る製造業としての地位を築いてきた。

ところが最近は、東南アジアなどの人件費の安い国に製造業がシフトしはじめ、日本人としての利点が欠点となり始めているようにいわれる。

すなわち、日本人は個性が無く、人と同じことをし主張がない。従って斬新な考え方やアイデアが少なく、アメリカなどの狩猟国民族よりも新規性に乏しい。

この意見当たっているのだろうか?国別の特許登録件数は、日本が国内海外を合わせて21万件であるのに対し第2位のアメリカは19万件(平成13年)しかなく、日本は特許出願数においては欧米を圧倒しているといえます。

少なくともこれまでの日本は上記のような批判は当てはまらないと思うのですがいかがでしょうか。

私の友人の娘さんが、高校一年生からアメリカに単身留学し、数年前に大學まで卒業し帰国しました。その娘さんに一番驚いたことは何か聞きましたところ、最初に高校に行ったとき、黒人の生徒が数学の式で、等号の左にある値が右に移動したとき、その値の符号が逆転することが理解できないと、一時間に渡って質問していたことだそうです。

高校のレベルも問題ですが、それより日本人でそのような質問をしつこく聞く生徒はいるでしょうか。そのようなものだから覚えなさいで納得していないでしょうか。

これはアメリカ教育のあり方の一端をあらわしているようで、単に覚えさせるのではなく、なぜなのかを徹底的に追求することの意義を、重視しているように思います。

アメリカのLaw School では、お互いに立場を変えながら、Debate を繰り返し弁護士としての説得力や、論理性を身に付けさせるそうです。

そもそも教育は何のためにあるのでしょうか。本来その子供が社会に出たとき、ちゃんと生きていけるだけの、知識や経験を積ませることではないでしょうか。自然界の動物がある日突然子供を突き放し、生きることの厳しさを教えることと同じではないでしょうか。いわば将来起こるサバイバルをどうやって乗り切るかの知恵を授けることが教育ではないでしょうか。

人の能力は全て違います。日本に特進制度が無いのは、もっと勉強したいのにしなくていいよ、といっているようなものです。一番遅れている人に合わせて教育するのも変ですよね。喧嘩せず、仲良く、危ないことはせず、みんな一緒に遊んだり、勉強しましょうというのが、今の日本の教育の基本なのでしょうか。

これでは将来のサバイバルには勝てませんし、ましてやその中で育った“優秀“な子供達に日本の国の危機管理を任せられないでしょう。

ハラスメント 

ハラスメント               2005.8.12


 昔テレビで男性が小指を立てて、私はこれで会社を辞めました。というコマーシャルがありましたが、最近は冗談ではなく本当にそのようなことが日常的にあります。

 某球団社長は、スキンシップは労働意欲の向上に寄与するとか何とかバカな言い訳を

恥ずかしげも無くいい、告訴され追及されると、そう思っていたのは私の誤解でしたなどとアホらしくなるような結末で、解任になりました。

 また、大学教授が学生の就職活動を有利にしてやるからといって、セクハラするという話も出てきています。

 ハラスメントの種類は幾つかあり、パワーハラスメント(パワハラ)、アカデミックハラスメント(アカハラ)、モラルハラスメント(モラハラ)、シルバーハラスメント(シルハラ)などというようです。

アカハラといわれればヤモリなどを思い出しますが、気持ちの悪いやつで、腹が赤く、蛇のように舌を出し手足がピタとくっつきます。大學で地位を利用し女性をたぶらかすなんぞ、まさにアカハラ並みの腹黒さと気持ち悪さですから、「アカハラ先生」と呼ぶのは正しい呼び名です。

面白いのがシルハラです。電車などでシルバー座席の前に立っていると、突然どうぞと席を空けられます。若い女性からなら満足ですが、50代の男性からだと「何だこのやろう、俺はハゲだけどまだ若いぞ」と怒り狂う。これをシルハラというそうです。

そもそもハラスメントなどという言葉が出始めたのは、ここ20年くらいではないでしょうか?仕事中に女性のお尻や片に触れるのは以前は当たり前?の時代もありました。

問題になったのは、海外に工場を出した某メーカの上司が、日本と同じように“触ってしまった”ためそれはもう国際問題化しないかと思われるくらい大騒ぎになったのがきっかけです。そこには「女性蔑視や人種蔑視の思想が根底にあるのだー」というのが

問題の根本です。そこで政府はこれでは日本民族の恥だ、セクハラ対策をやりなさいときたわけで、そうするとそれまでほとんど考えてなかった各企業は、セクハラの定義は何だ、どうやって対策するかなどを考え会社の規定に入れることにしたのです。

 そのように規定されるとやけに気になるもので、それまでポンと片をたたいて“元気”

といっていたことが、片に当たる瞬間規定を思い出し、自分の頭をかく状況になります。

日本人は昔から「あうんの呼吸」が得意で、何気なく分かり合える高等人種?ですからこのような規定はしっくり来ません。一日に5回メールで好きだというは良いが、1000回だとストーカになります。では900回では?といったことをどのように仕分けるのでしょうか?

 ハラスメントを基本的に排除するには、された側がきちんと相手にクレームをいい、

場合によっては、関係者や司法に相談することを習慣にすれば、規定は不要でしょう。

日本の文化

日本の文化             2005.8.11


以前から京都にはユニークで立派な企業が多いと不思議に思っておりました。

西陣織をはじめ、京セラ、堀場製作所、オムロン、ワコール、任天堂など業界を代表する企業が数多くあります。経営者もそれぞれに個性がありユニークです。

 なぜ京都にこのような企業が多数あるのか。恐らくその土地に根付いた習慣や文化が

大きく作用しているように思えてなりません。

 源氏物語や平家物語などでもわかるように、京都は日本の都として長く日本文化の発信地でした。外国から訪れる観光客で最も人気がある都市が京都です。

そこにはよき日本の風情が残されおり、日本人が失いかけている日本人としての原点があるように思います。

 江戸中期に石田梅岩という人が、京都の山村に百姓の次男として生まれ、後に儒教や仏教、日本古来の神道の思想を学びました。

当時は商人の行う営利活動は人として「恥ずべき行為」とされていた「常識」に真っ向から反対し、労働しお金を儲ける事は良いことだと、京都の町衆に言い聞かせ、同時に勤勉と倹約の大切さも教えたといわれています。

でこぼこの道に「ふすま」は立たないが、「びょうぶ」は立つ。時として曲がったことをすることも大事だ。と反骨精神も旺盛だったようです。

 「石門心学」として聴講料無料で、老若男女を問わず誰にでもその教えを広めました。

このようなポジティブな考え方が、多くの民衆に支持され日本中に広まりました。

「日本人は勤勉でよく働く」といった世界の人達の評価は、この石田梅岩の教えに起因するのかもしれませんね。

 

ここで「あきない益々繁盛」 清水英雄詩集をご紹介します。

“あきない”

  商売は あきない という

  どうして あきない なのだろう

  それはおもしろくて しかたないから

  あきない なのだ

  いつもおもしろいから 笑い顔

  笑顔が たえないから

  商売は「笑売」となる

  笑顔で いつも活発だから「勝売」となる



  ところが あきない 商売を

  おもしろくない と思っていると

  その商売は すぐあきる

  いつも 不平不満や愚痴が出て

  心が 次第に傷ついて「傷売」となる

  こんなお店には

  そのうち 誰もよりつかなくなり

「消売」となって きえてしまう



「笑売」をしているのか

   「傷売」をしているのか

  「勝売」をしているのか

   「消売」をしているのか

  あなたはどちらの商売を しているのだろう

なりすまし 

なりすまし                2005.8.10


昔から男女の接点は色々ありますが、最近は携帯や、出会いサイトなどといった過去に例を見ない摩訶不思議な世界があります。

江戸時代以前にも種々の出会いの話があります。

年頃になった娘に何とか良い人をと思う親心は、今も同じですが、昔は今ほど女性の再婚にオープンではありませんでしたので、結婚は一生の大事業です。

そのため、運悪く相性の悪い人と結婚すれば一生が台無しです。今のようにホテルもモーテルもありません。世間に知られれば「きずもの」扱いで、下手な行動も取れません。

 いわゆる「夜這い」は、このような女性にとって又は男性にとっても、「婚前婚」として相手を事前に知り、結婚後も仲睦まじく暮らすための知恵があったのです。

 ではどのように「夜這い」したかといいますと、これは身分やおかれた立場にもよりますが、光源氏のように事前に手紙を出し、相手の了解を得ていくケース。これは自分を魅力的だと自覚し、相手も乗ってくるに違いないと見通したいわば正攻法です。

 一般的な庶民はといいますと、村の祭りや何かのきっかけで男性が見初めた女性がいますと、男性は自分で作った「棒」を見せます。その「棒」の先に彫り物をし特徴を出します。女性はその男性が気に入ればその「棒」の形状を記憶しておくのです。

 現在と違い昔の夜はせいぜい月明かり程度です。ほとんど漆黒の世界で鼻をつままれてもわからないほどの暗闇です。どのように「夜這いするか」もうお分かりですね。

 年頃の娘は、雨戸に近いところに寝かせます。少しだけ戸が開くようになっています。

その娘が気に入った男は、先の「棒」をもってそっと雨戸をあけ、その「棒」を差し込みます。娘はその「棒」があの方かどうかを判断し、その方とわかればその「棒」引き寄せるのです。ところが違った「棒」が進入してくる場合もあります。当然そのときは押し返すのです。今も昔も男の殺生与奪権は女が握っているのですよ。

 ところで、問題なのは不男です。どうやってもモテません。どんなに太い「棒」でもだめなものは駄目です。これが村一番の優男の持っている「棒」を真似します。

この「棒」でマドンナを射止めようと「夜這い」するわけで、いわゆる「なりすまし」。

漆黒の闇の中では誰だかさっぱりわかりません。闇夜にからすです。

女がこの人とならと決断し、いつもは早々に帰るところを引き止め、しらじらと夜が明け始めた頃、ふと男の顔をみて仰天!!・・これがほんとの「棒前自失」であります。

「なりすまし」が多様化・高度化した現在、ご用心ご用心!

公私混同

公私混同                  2005.8.9


日本の浴場の95%以上は混浴です。

えーと驚かれると思いますが、家庭のお風呂はほぼ100%混浴ですので、それを含めれば納得です。

 混浴の温泉は関東以北に多いですね。混浴とはいってもそれを売り物にしているところはほとんどありません。たまたまその温泉が混浴であったという場合が多いです。

なぜ混浴を売り物にしないのか?そんなことをすれば恐らく全国のすけべ×××が集まり、えらいことになるかもしれませんし、純情な方は来ません。

 混浴はご存知のとおり、男女が同じ浴槽に入るわけですが、なぜか入り口が違います。

男のれん、女のれんがそれぞれありそこから入ります。中で一緒なのになぜとお思いでしょうが、これがとても大事なことです。すなわち貴方は男ですぞ、貴方は女ですぞと

入り口で念を押されているわけです。男としての分別、女としての恥じらいを確認させておるわけです。

 公私混同がいけないように巷で言われておりますが、そもそも公私混同とは何でしょうか。公(オオヤケ)とは?国語辞典には「個人ではなく、組織あるいは広く世間一般の人にかかわっていること。」とありますから、例えば父ちゃん母ちゃんの八百屋さんや魚屋さんの経営で、もうけたお金を使って家族で食事しようが、海外旅行しようが構いません。(ただし、税法上の問題はきちんとしなければなりませんが)いわゆる家族風呂経営ですから、もともと公私混同などといった概念は出てきません。

 ところが一般企業で社員を抱えている社長さんが、会社のお金を家族旅行なんかに会社の経費として使えば公私混同で批判されます。(税法上は所得としてみなされ追徴されます)当たり前のことですが、個人で始めた企業がだんだん大きくなり、既に企業が公器として広く世間一般の人々にかかわっている組織にもかかわらず、相変わらず個人商店としての意識しかない創業者や、社長になったとたんに何でも自由に出来ると勘違いした社長さんが、公私混同してしまうのです。お金には「公」も「私」も色分けされているわけではありませんから、お金を使うときに「これは公、これは私」と確認しなければなりません。混浴に入るときに、俺は男なのだから「男のれん」をくぐるのだという、いわば誘惑にまけない強い覚悟が必要なのと同じですぞー。

ストレス 

ストレス                2005.8.8


人は生きてゆく中で、何かしらのストレスを受けています。

我々の業界でも、ストレスによる病気が増加の傾向にあります。

ストレスは無いほうが良いのでしょうか?ストレスは悪でしょうか?

私は、ストレスがあるからこそ強く生き抜く事ができるものだと思います。

世の中に病原菌があるから健康でいられるようなものです。

ストレス全くない世界がどれほどつまらないものか、皆さん想像してみてください。

離れ小島で誰一人いないところで、フルマラソンする人がいるでしょうか?

何万という観衆、世界中のマスコミなどの注目を集める中を、先頭を切ってスタジアムに入ることを夢見るからこそ、毎日死ぬほどの鍛錬やストレスと戦うことが出来るのだと思います。

 ストレスは楽しく、豊かな人生を送るためのいわば香辛料です。

しかしながら、ストレスは時として悪玉ストレスに変質します。

どのようなときにストレスが悪玉化するのか。端的にいえば、ストレスと共存できない自分のありようだと思います。

 戦争中、何時銃撃で死ぬかもしれない不安。家族を守りたいが、それが出来ない不安。

そのような、自分ではなんともしがたい、解決できない状況は明らかに大きなストレスになります。

 現在では、戦争はありませんが将来に対する漠とした不安感はあるのではないでしょうか?

悪玉ストレスが付け入る隙は、上記のような自分で解決できない、もしくは解決出来ないと思っている自分に対し、何とかしたいという生真面目さが一番の原因のように思います。

 ケセラセラはスペイン語で「なるようになるさ」という言葉ですが、日本でも「人事を尽くし天命を待つ」といった言葉があります。

ストレスをストレスと感ずることなく、日々楽しく暮らすための知恵は、まさにこのような気持ちの持ち方にあるのではないかと思います。

ホタル

ホタル                  2005.8.6


私が未だ幼少の頃には、田舎でもありましたのでほとんどの川辺で沢山のホタルをみることができました。

農薬の使用や、環境汚染などで徐々にホタルが減り、最近ではホタルが生息する場所も限定され、逆に観光地化されています。

 川がきれいになり生息するのに適してくれば、ホタルはすぐに舞い戻ってきます。

ホタルは不思議なことにお尻から光を発しますが、生まれ出た卵の時から光を発しているのですね。

 私は、この業界のシステムエンジニアという職種は、社会の発展に寄与が出来る素晴らしい職業だと思っています。当然高度な技術やノウハウを必要としますので、学生時代に優秀な成績を収め、人としても立派な人でなければなりません。

 創業以来、この業界で成功するには、優秀な人材を集め活用するしかないと思い、採用には全力で当たってきました。

現在、私が考えた以上の学生が入社してくれていると思います。

しかしながら、この業界の環境はどうでしょうか?少し景気が良くなれば大量採用し、悪くなるとすぐにリストラ。名前はSEですが、得意とする技術やノウハウを体系だって取得できているでしょうか?40歳、50歳を迎えたときに不安は無いでしょうか?

この業界に来て幸せだったといえる人生があるでしょうか?

 大學の先生方やご両親などこの業界を本当に素晴らしいと感じてくれているでしょうか?

 中国やインドなどではIT業界で働く技術者は、平均的な収入の2~3倍あり、いわばエリートの業界です。当然優秀な人材が多く集まります。

 私たちは世界でもトップクラスの優秀な人達と競っていかなければなりません。

その競争に打ち勝つには、魅力ある業界、魅力ある待遇、魅力ある将来がみえてこなければ、日本のIT業界は生き残ることが出来ません。

 2002年12月にJKK(情報産業経営者研究会)を私が発起人となって、発足しました。九州の50名以上のソフト会社で、将来リーディングカンパニーを目指し、企業とともに業界の発展を願う企業の代表者(現在11社)と、毎月一回2時間勉強会を行います。出席率は非常に高く、種々のテーマで議論し本当にありがたいと感謝されています。ただ、業界全体の改善には程遠く、当面は企業として魅力ある企業はどうあるべきか、といったレベルに留まっています。

 魅力ある企業が沢山出来れば、結果的に業界も魅力的なものに変わります。

ホタルのように輝く金の卵を、これからも多く採用できる業界にしたいものです。

時間は平等 

時間は平等               2005.8.6


地球上の生物は全て太陽の恩恵を受けており、太陽の周りを回る地球上の生物は等しく同じ時間を与えられています。

人生80年として考えると、約70万時間が人間に与えられた時間です。

大學を卒業するまでに既に19万時間費やしていますので、残りは約51万時間です。

一日の三分の一は寝ていると考えると、起きて何らかの活動が出来る時間は34万時間。

人の寿命はコントロールできませんが、一日24時間をどのように過ごすかは、自らの意思でどうにでも設定できます。

大学を卒業してから死ぬまで与えられた時間は34万時間しかありませんが、皆さんはこの時間をどのように使いたいと思いますか?

 私は、若い頃から一日を3分割して生活するように心がけてきました。

まず、睡眠は三分の一の8時間、仕事は出来れば8時間、残り8時間を如何に有効に使えるかが人生を豊にできるかどうかだと思っていました。

34万時間の半分の17万時間の使い方を真剣に考えると、人生の新たな方向が見えてくるかもしれません。

この人生を豊に出来る時間(e-時間と呼びます)をどのように確保するかが第一の難問です。仕事で残業が続けば確保できません。

 そこで私は出来るだけ残業をしないように、またしなくてすむように、兎に角朝から集中して仕事に取り組むようにしました。

朝の通勤中に当日の作業を頭で確認し、会社に到着するや即座に仕事に集中します。

朝の3時間程度は十分に集中できます。問題は午後昼食後1時間が魔の時間帯で、眠くて仕方ありませんでした。最初は必死で目をあけようとしますが、かえって眠気が長引きます。いまや常識となりましたが、10~15分くらい仮眠を取るとすっきりします。

2時から5時までまた仕事に集中し、当日の予定を完了させるようにしました。

 5時以降の予定を入れておけば、何とか終わらせるように自然に集中できます。

このような行動は、場合によってはその職場では受け入れてもらえない場合がありますが、しっかりと予定通りに仕事をこなせば余り文句は出ないと思います。

また、そのような人生観に共感する人も多いと思います。

5時以降は、私の場合大半がお客様や、友人たちとの飲み会でした。

趣味や、本を読んだり仕事以外のグループとの付き合いもありました。

そのため家計はいつも火の車。家内も小遣いを少なくしてくれ、といいます。

そのとき私のフレ-ズは決まって、「お金は貯金していないが、頭の中には沢山貯金が詰まっている、いつかその貯金を引き出すから余り文句をいうな」でした。

 会社創業後も色々な方々と親しくお付き合いしていただいていますが、ほとんどが

5時以降にお付き合いした方々です。

私の残り時間は21万時間、e-時間は7万時間もあるでしょうか?・・

良薬は口に苦し

良薬は口に苦し             2005.8.5


私がソフトウエア開発技術者としてある程度やっていけるようになったのは、お客様で当時課長職だった方の厳しい指導のお陰と思っています。

まだ駆け出しで、コーディングが少しばかり出来る程度だった頃、底上げの履歴書の為に実力以上の成果を求められたのですが、その課長の指導は、自立を常に促すものでした。

まず、与えられたサブシステム全体の作業項目の洗い出しと、作業ボリュームの見積もりをし、スケジュールを提出させます。

このフェーズで行うべき作業に抜けはないか、段取りは良いか(クリティカルパスの確認)を徹底して考えさせ、何度も書き直させられます。

その次に、各担当にそれぞれのスケジュールを自ら引かせます。

そのスケジュールは、本人の実力と比較し甘くないかチェックされ、ほとんどより厳しいスケジュールに書き直させられます。

毎週、自ら引いたスケジュールの実績をチェックされ、たいていの場合未達成なのですが、なぜ出来なかったのか、それは外部要因か、それとも自分自身の問題かと厳しく問われます。毎週何度も叱責されますが、自ら設定した計画を予定通りできないことに対して自身に対する悔しさと、今度こそしっかりやろうとする闘争心が生まれたように思います。

 当時はコーチングなどといった考え方は無かったのですが、その課長はまさにコーチングをやっていました。こうしなさいとか、単に怒るようなことはせず、どうしたら出来るのかを考えさせ、自ら計画させ、結果に対して反省させ、また自ら次ぎの計画に向かわせるといった指導だったように思います。

 怒られているときは本当に怖くて仕方なかったのですが、一年もすると作業の漏れは無いか、段取りはこれで良いかと自然に考えられるようになっていました。

その後多くのプロジェクトに携わってきましたがほとんど失敗することなく過ごすことが出来たのは、若い頃に厳しく教えていただいたことによると感謝しています。

 余談ですが、会社を創業しある程度軌道に乗り始めた1992年にその恩人の方に、東京でお会いし少しばかりのご馳走を差し上げ、当時厳しく指導していただいたことに対し改めて御礼を申し上げました。

 既に70歳を越えられていると思いますが、いまだに現役でプロジェクトマネージメントなどのコンサルタントとして全国を回られているようです。

良いプロジェクトマネージメントは、「人を知り、人を生かし、人を幸せにする」素晴らしいノウハウです。是非皆さんもチャレンジしてください。

忘れらない電話

忘れらない電話               2005.8.4


1993年8月のお盆休み明けに一本の電話が鳴りました。

ある大手メーカの資材部からでした。

「不況により今後外注費を削減もしくは中止します。」

 当社は創業まもない1991年10月より大手メーカ(間に一社ありましたが)から大型の受託開発の発注を受けていました。条件はUNIXマシンを10台購入し、設計の打ち合わせは東京だが製造は福岡でできる。マシン購入費は5000万だが5年間は継続して発注する。という約束でした。

 約束どおり先の電話が鳴るまで約2年間は非常に好調に推移しており、順風満帆の状況といえました。

 一本の電話で事態は急転直下倒産の危機に見舞われます。

まず、3000万のリース残、高い家賃(当時坪16000円)。その上売上げが約80%消失するという事態です。その上既に納品していた約1900万についても、正式契約していないので支払えないとの厳しい状況でした。

 懇意にしていた経営コンサルタントの先生に相談すると、「倒産させるにもお金がいるから、あまり格好つけず早く決断したほうが良い」と見放されるほどでした。

 私は当然倒産させるつもりはありませんが、大変な恐怖感がありました。

役員報酬の減額はもとより、社員給与の減額、残業代の不払い、賞与のストップなどと共に一部社員のリストラ(事業が回復すれば必ず復帰できるように約束)までせざるを得ない状況でまさに、なりふりかまわず対処しました。

また当時は不況による倒産が続出しており、救済のための補助金が出ていましたので申請したり、リースの一時支払凍結などでしのぎました。

 悪いことは続くもので、現ビルの前の所有者はインド人で、手広くジュエリーや不動産をやっていましたが、この会社も倒産しました。従って高い家賃が支払えないため転居しようとしますが、管財人が預け入れている敷金の返還に応じてくれず、転居もできません。

 数ヶ月にわたりこのような対応に追われ、精神的にもきつく疲れていたと思います。

2月の寒い夜、ある本を目にして一晩その本を読み明かしました。

それは「元気が出る本」です。その本によると、朝早く日の出前に起きて太陽を浴びるとエネルギーが体内に入り元気になるというのです。

早速その日から4時に起きだし実行しました。

2月の4時といえばは未だ暗闇の世界ですが、どうせ眠れないので平気です。

歌を歌ったり、体操したりぶらぶらと川辺を歩きます。そのうち朝日が昇り拝みながら「ありがたいなー、今日もまだ生きてるなー」といった気持ちです。

早起きは一年半ほど続けました。不思議になんとなく元気になったように思います。

 社員の方々も長期にわたり本当に必死で頑張っていただきました。給料も減り生活も苦しいのに、一言の文句も言わず黙々と仕事に集中してくれました。

 電話の翌年4月入社予定の新人の方は4名いましたが、このような事態になったことをすぐに手紙でお知らせし、4月は正式に採用できないかもしれない。(補助金申請には採用があるとできない)と正直にお話しました。

そうして約一年半で何とか業績も回復してきましたので、リストラした方々全員に十分な待遇はまだ出来ないが、もどって来たいと思う人は是非戻ってくださいと連絡しました。ありがたいことに数人の方が戻ってくれました。

 振り返ってみますとあんなに厳しい状況は無かったと思います。その中で歯を食いしばってくれた社員の方々に心から感謝感謝です。

今後二度とあの悪夢のような電話が無いことを祈りたいと思います。

サラリーマンが経営者になろうと思った瞬間

サラリーマンが経営者になろうと思った瞬間    2005.8.3


 大學を出て横浜のコンピュータメーカに就職し、その年の12月に先輩の方から、ソフト会社を設立するが、君も一緒にどうかと打診されました。

1971年当時ソフト会社は未だ少なく、上場会社もありませんでした。

コンピュータのハードは工場でしか作れないが、ソフトは場所を問わずどこでも出来る。将来は故郷の下関でも出来るかもしれないと、ソフトウエアのビジネスへの転換を余り深く考えもせず承諾しました。若気の至りともいえます。

 社長と取締役と社員の私の3人で始めた会社ですが、不安はありませんでしたが

3ヶ月くらい仕事が全く無く、そのときほど仕事がしたいと思ったことはありません。

30歳を契機に(既に取締役になっていたこともあり)会社経営について積極的に貢献しようと考え始めました。

当時会社は30名ほどの人数で、派遣型が主でした。株主総会や取締役会など商法で

明記されているような会議は正式にはありませんし、経営計画や経営ビジョンなどもありませんでした。社員はなんとなく将来が不安でしたから、退職者も少なからずありました。

 会社経営とは何なのか、経営者は如何に考え経営すべきなのか等々判らない事ばかりでしたから、松下幸之助や本田宗一郎などの成功者の本やドラッガーなどの経済やマネージメントに関する本をたくさん読みました。

 社長には意を決して、種々の提案をしましたがなかなか受け入れていただけませんでした。特に中期経営計画、年度計画など将来に対する明確なメッセージを社員に対し表明していきましょうと、約3年間にわたって話をしてきましたが、理解してもらうことが出来ませんでした。

 会社経営は、経営者のためではなくお客様の信頼と信用を得て、事業を発展させ社員や関係する多くの人々を幸福にすることだと思います。

経営をオープンにし改革改善を継続し続けている会社は、必ず成功しています。

そのような会社にしたいと訴えましたが残念ながらその社長には受け入れられませんでした。そんなことを言うのは理想論だといった反応でした。

 その時初めて、それなら自分でやるしかない。と決意した瞬間でした。

                    

SEが営業マン(ビジネスマン)になった日

SEが営業マン(ビジネスマン)になった日    2005.8.2


前職で、私は37歳までシステムエンジニアとして技術畑を歩いてきましたが

営業所長の役職についてから、営業としての仕事を始めることになりました。

営業の仕事はどのようにすればよいか皆目見当も付かず、営業部員に聴いて回る始末でした。

 取りあえずお客様のところへ行き、かしこまって会社案内などをしていましたがさっぱりでした。

時代は円高不況で、客先から帰任する技術者も多く、仕事もない状況でした。

営業所長として数字目標を達成するために、あらゆることを考え行動しました。

 3ヶ月くらい必死に顧客周りを行いましたが、そこで気が付いたことは、いくら良い会社だと宣伝しても仕事はもらえないということでした。

それでは何を売り物にすればよいのか?・・・・

売り物は自分自身ではないかとふと気が付いたのです。

自分はお客にとって魅力ある人間か? 価値ある情報を提供できているか?

自分を売ろうとすればするほど自らの未熟さを思い知りました。

 これまでの会社の紹介や業務の紹介などを一切やめ、まず私自身の生き方、考え方やこれまでの経験などをざっくばらんに話しました。本や雑誌から情報をたくさん仕入れ、顧客の興味のありそうな話をしたりもしました。

また、歴史小説やスポーツなど自分の得意分野の話など、仕事とは余り関係のないことを、まさに胸襟を開いて笑顔でリラックスして話すように心がけました。

困っていることや、疑問点があればすぐにメモし大至急で返答するように心がけました。

不思議なことにそのような対応に変えてからお客様からの電話も急に増え始めました。

私が営業として最初に受注したのがXX銀行でした。そのときのシステム部長さんとはその後も親しくお付き合いいただき、会社設立のときにもご相談に乗っていただきました。また、現在のお客様のXXXとの橋渡しはその方のお陰です。

 営業で大切なことは、人間として信用していただくことだと思います。

親身になってご相談に応じお客様に利益をもたらすように、積極的に行動し続ければ

誠意は必ず理解されると思います。

私が37歳のとき営業はどうすべきはではなく、ビジネスマンとしてどうあるべきかを、お客様を通じて学ぶことが出来ました。

                          

2010年7月1日木曜日

地域活性研究会(CKK)

私の故郷(ふるさと)限界集落。子供の声が聞こえません。最近は、犬・猫も減ってきたような・・・私 団塊世代のアラカン。会社経営やめて、親孝行したい年頃。「地域活性」し3世代が暮らせる街づくりがテーマです。

2009.2月に研究会立ち上げ、2009.7月から毎月定例会を行っています。

大学講義

39年も社会で働いていると、その経験を学生に話してくれという依頼があり、
2010年6月は九州産業大学経営学部と九州大学工学部からオファーがあった。
最近、ソフトウエア産業の人気も凋落気味だし、最近の学生も何となくおとなしい感じがするので、
業界の宣伝(ソフトウエア開発の面白さ)と、勢いのなくなった「ベンチャービジネスへの挑戦」の復活を学生に少しでも理解してもらえたらと、引き受けました。
下記URLはその時のスピーチ
http://www.ustream.tv/recorded/7987269

2010年2月25日木曜日

昨年還暦を迎えた。
昔、還暦のお爺さんを見て、還暦=よぼよぼ
の公式で考えていたが、
いざ自分がその年になってみると・・・