2010年7月20日火曜日

進化

進化                   2007.5.21


数ヶ月前にNHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」の司会者、脳科学者 茂木健一郎が紹介した、マサチューセッツ工科大学 教授 石井 裕氏の 「タンジブル・ビッツ」には本当に驚きました。

 常々、メールにしてもコンピュータ処理にしても、デジタル的表現に慣れてしまうと、「これで当たり前、それを補完するには他の方法を考えよう」という諦めにも似た気持ちになっていましたが、石井氏の提唱する「タンジブル・ビッツ」は正にデジタルとアナログの融合で、これこそ技術の「進化」だと思いました。

 このような発想の原点を、彼は次のように語っています。

[実は「タンジブル」のオリジンのひとつには、日本の伝統文化があるんです。例えばソロバン。ソロバンの珠は、数字の情報を物理的な実体で表現できる。情報を直接指で操作して計算できる。ところが、現代のコンピュータはどうか。情報の表現はスクリーン上のピクセルで、マウスやキーボードを使って、間接的にしか操作できない。情報に物理的実体を与えて直接操作ができないという大きな難点があるんです。



 そしてもうひとつ、アメリカ赴任前に訪れた宮沢賢治博物館で受けた衝撃です。私は宮沢賢治の「永訣の朝」という詩が学生時代から大好きだったんですが、その肉筆原稿を初めて見ました。私が読んでいた文庫の中で、「永訣の朝」は等間隔の9ポイントの活字で表現されていました。ところが肉筆原稿は、書いては直し、消しては書き、が繰り返されていた。それは、彼の苦悩を静かに物語っていました。インクの軌跡を見つめていると、ペンを握る彼の太い指、ごつごつした手が見えてきました。しみだらけの原稿用紙には、彼の体の痕跡や苦悩のプロセスが塗り込められていました。



 こういう迫力が、標準化・電子化されたテキスト・コードではまったく伝わってこないんです。デジタルの世界は乾いていると思いました。「どれだけ情報を削ぎ落とし、圧縮できるか」という技術効率至上の考えが、「人間的なぬくもりや感動を伝える情報の中身は何なのか」という本質的議論に優先していた。デジタルの世界に欠けているもの。それが今の研究の思想につながっていったんです。]



私たちは、出来ないことの理由付けを懸命にしがちです。出来るにはどうすべきかということについての、研究や努力をせず諦めてしまうことが多くあります。

進化というのは、不可能と思えるようなことに、果敢にチャレンジした結果なのでしょうね。

詳しくは下記のHPをご覧ください。

http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000789

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