2010年7月20日火曜日

記念写真

記念写真              2006.11.6


昨年12月、年も押し迫った頃に、初孫が誕生した。

予定では翌年の1月だったが、帝王切開によって予定よりも早くこの世に出てきた。

お医者さんも正月はゆっくりしたかったのかな?と勘ぐったりもした。

このように無理やり早く出てきた子供は、最近流行の生年月日による運勢占いはどうなるのかと心配になる。事実私の場合実際に生まれた日と出生届日が違うのである。この場合運勢占いはやはり本来の出生日日で行うのが、「正しい」そうであるが、もしその事実を知らないで、出生届で占いをしてもらって、間違った占いをされたら、誰が責任を取るのでしょう・・・。私は、元来占いや血液型性格判断など全く信じていないので、どうでも良い話だが、孫の話となるとこれは別で、何だかんだと理由をつけて、この子はとっても性格がいいとか、最高の運勢に恵まれているとかを思わせるものであれば全て信じ込みたいのです。

 孫の誕生からすさまじい程の、デジカメ写真を撮っているが、本当に子供の成長は著しく、数日前の顔と現在が随分と違う。笑った顔や泣いている顔その全ての表情に愛情を感じるのは、やはり血のつながりからだろうか?

これからどれだけ多くの記念写真が撮られるのか楽しみである。

 我が家にはモカというミニュチュアダックスがいるが、これが現在6歳。いい加減良いおっさん犬である。この犬は子供がどこかから貰ってきていつの間にか居ついてしまった。生まれて間もない頃は本当にかわいく、写真も沢山撮った。

 ところが、1年も経つと犬の外形は全く変わらなくなる。従って毎年少しは写真を撮っているが、どれをとっても何時の写真かさっぱり想像できない。

成長の記録として、人間であれば乳児期、幼児期、幼年期、少年少女期、青年期、成人と約20数年にもわたって、その子の成長過程が楽しめる。子供が2人いれば2倍、3人いれば3倍の楽しみがあります。

 年を重ねていくとだんだん写真は少なくなる、特に人の写真よりも景色の写真が多くなるのは、人間を撮っても代わり映えしないので、行った先々の四季折々の写真を撮って後になって、何処へもいけなくなったときに、その写真をみて時間をつぶそうという魂胆か。

 記念写真とは、生きてきた証となるかけがえのない一瞬を記録したものです。その意味で多くの記念写真があること自体、幸せな人生を想像させます。

日々の生活自体は平凡で、ともすれば悩みや苦しみのほうが多いかもしれません。

それでも私たちは、記念写真を撮り続け、鏡のように映るその幸せそうな一瞬を、未来において確かめ幸せな人生であったことを納得させます。記憶に残したいのは、苦しみや悲しみではなく、幸せだったという現実を得たいからかも知れませんね。

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