忘れらない電話 2005.8.4
1993年8月のお盆休み明けに一本の電話が鳴りました。
ある大手メーカの資材部からでした。
「不況により今後外注費を削減もしくは中止します。」
当社は創業まもない1991年10月より大手メーカ(間に一社ありましたが)から大型の受託開発の発注を受けていました。条件はUNIXマシンを10台購入し、設計の打ち合わせは東京だが製造は福岡でできる。マシン購入費は5000万だが5年間は継続して発注する。という約束でした。
約束どおり先の電話が鳴るまで約2年間は非常に好調に推移しており、順風満帆の状況といえました。
一本の電話で事態は急転直下倒産の危機に見舞われます。
まず、3000万のリース残、高い家賃(当時坪16000円)。その上売上げが約80%消失するという事態です。その上既に納品していた約1900万についても、正式契約していないので支払えないとの厳しい状況でした。
懇意にしていた経営コンサルタントの先生に相談すると、「倒産させるにもお金がいるから、あまり格好つけず早く決断したほうが良い」と見放されるほどでした。
私は当然倒産させるつもりはありませんが、大変な恐怖感がありました。
役員報酬の減額はもとより、社員給与の減額、残業代の不払い、賞与のストップなどと共に一部社員のリストラ(事業が回復すれば必ず復帰できるように約束)までせざるを得ない状況でまさに、なりふりかまわず対処しました。
また当時は不況による倒産が続出しており、救済のための補助金が出ていましたので申請したり、リースの一時支払凍結などでしのぎました。
悪いことは続くもので、現ビルの前の所有者はインド人で、手広くジュエリーや不動産をやっていましたが、この会社も倒産しました。従って高い家賃が支払えないため転居しようとしますが、管財人が預け入れている敷金の返還に応じてくれず、転居もできません。
数ヶ月にわたりこのような対応に追われ、精神的にもきつく疲れていたと思います。
2月の寒い夜、ある本を目にして一晩その本を読み明かしました。
それは「元気が出る本」です。その本によると、朝早く日の出前に起きて太陽を浴びるとエネルギーが体内に入り元気になるというのです。
早速その日から4時に起きだし実行しました。
2月の4時といえばは未だ暗闇の世界ですが、どうせ眠れないので平気です。
歌を歌ったり、体操したりぶらぶらと川辺を歩きます。そのうち朝日が昇り拝みながら「ありがたいなー、今日もまだ生きてるなー」といった気持ちです。
早起きは一年半ほど続けました。不思議になんとなく元気になったように思います。
社員の方々も長期にわたり本当に必死で頑張っていただきました。給料も減り生活も苦しいのに、一言の文句も言わず黙々と仕事に集中してくれました。
電話の翌年4月入社予定の新人の方は4名いましたが、このような事態になったことをすぐに手紙でお知らせし、4月は正式に採用できないかもしれない。(補助金申請には採用があるとできない)と正直にお話しました。
そうして約一年半で何とか業績も回復してきましたので、リストラした方々全員に十分な待遇はまだ出来ないが、もどって来たいと思う人は是非戻ってくださいと連絡しました。ありがたいことに数人の方が戻ってくれました。
振り返ってみますとあんなに厳しい状況は無かったと思います。その中で歯を食いしばってくれた社員の方々に心から感謝感謝です。
今後二度とあの悪夢のような電話が無いことを祈りたいと思います。
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