姨捨山 2005.9.2
学生時代一人旅が好きで、北海道や北陸など色々なところを旅したことがあります。
妙な趣味があり、民芸品売り場で“草鞋“を買い、それをはいて舗装していない道を歩き、幕末信じられないくらいのスピードで全国を駆け回った坂本竜馬の気分を味わおうと試みました。草鞋の歩行がどれほど大変かよくわかりました。まず、足の指先に盛んに石ころが当たって痛いことと、駅の便所など水があると、毛細管現象で足がびしょぬれになることです。ただ、非常に軽く靴よりもはるかに軽快でした。夏の舗装道路は思った以上に高温になっておりとても歩けるものではありません。
JR篠ノ井線に姨捨駅があります。善光寺平を一望する日本三大車窓の一つといわれます。姨捨山は全国に600箇所くらいあるそうで、昔は口減らしのため生まれたばかりの子供を川で溺死させたり、身売りをしたり、老人となれば姥捨山に捨てるといった、悲しい歴史があります。姥捨伝説は、親をどうしても捨てられなかった男が、老人の知恵で褒美を貰ったという親孝行の物語です。
私には92歳になる祖母がいます。20歳前に嫁入りし、田舎で姑(私の曾祖母)にいじめられ、随分苦労したようで、ほとんどその田舎から出たことがありませんでした。
祖母は、私が未だ小さい頃はよく大きな寝言を言っていました。悲しいことが多かったのでしょう。私はその祖母が大好きでした。私や、子供たちへも少ない年金を貯め、小遣いをくれたり、色々な野菜を沢山作ってくれたりと兎に角人に親切でした。
先日、どこから聞きつけたのか、介護付きの老人ホームがあるのでそこに行きたいといい、両親が連れて行きました。
両親としては一緒に暮らしたいのですが、祖母としては、足腰も弱く耳も遠く、何かあると家族に迷惑がかかるし、日頃の面倒も大変だろうと、老人ホームへ行くことを決心したようです。未だ頭もはっきりしており、私が子供たちを連れて行くと本当に喜んでくれます。長生きはしてほしいのですが、今が幸せかどうかわかりません。私に出来ることは、子や孫を連れて行き一時の会話を楽しませることぐらいでしょうか。
姨捨山は恐らくほとんどの老人が、自分さえいなければ食べ物が沢山食え、家族の幸せがかなえられると思って、その山に捨ててくれと頼んだのでしょう。
私たちの幸せは、肉親以外にも多くの人達の思いや、犠牲があって今があるように思います。この幸せを噛み締め、今度は私たちが後世の人達に幸せを贈れるようにしたいと思います。
現在会社経営していますが、一筋の道筋を付けられれば、老人の跋扈と揶揄される前に、さっさと姨捨山に行こうと思います。
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