2010年7月20日火曜日

自由平等

自由平等                     2007.7.17


戦後7月の台風としては最強といわれた、台風4号で九州南部は大変な被害に見舞われました。台風一過と共に博多祇園山笠が終わり、福岡はいよいよ夏本番を迎えました。

760余年の歴史を持つ、山笠には多くのしきたりがあります。

手拭(てのごい)は9種類あり、役職や役割を明確にしています。

法被は町や流れごとに違い、所属がはっきりしており、下手なことは出来ません。

博多手一本は、決まりごとに対する承認を意味し、その後の異議を認めないという暗黙の約束があります。また、博多祝い唄は、めでたい席や色んな集まりの最後の締め唄として、唄われます。

 博多んもんは、山笠で育つといわれるように、生まれた時から山笠の洗礼を受け、赤ん坊に法被を着せ山笠に出る父親もいるようです。小学校などでも山笠の行事だといえば、どんなことでも許可されるといいます。山笠を通して、長幼の序や挨拶、しつけなどを厳しく学び、体格が大きくなると一人前の男として認められ、山を曳くことに大きな喜びを感じるようになります。

 山笠が好きで好きでたまらない人を、「山のぼせ」というそうですが、先日、九州大学の教授で、自他共に認める「山のぼせ」教授が、学校の授業をすっぽかし、山を曳きに行ったところ、大学に怒られたと憤慨しておられました。

「800年の文化と高々100年に満たない大学の行事とどちらが大切か、そんなことは自明の理ではありませんか。」と

かなり強引な理屈ではありますが、「山のぼせ」であれば納得できます。

 私たちは自由に生きたい。自由でありたい。とは思いますが、自由であることが“生きがい”や“幸福感”をもたらすものでもないように思います。

厳しい制約や規律の中で、仲間とともに互いに助け合い、目標に向かって一丸となって汗するという、山笠のようなイベントに幸福感・達成感を感じるのではないのでしょうか。戦後日本人の多くが「自由平等」の意味をそれぞれが勝手に解釈し、権利の主張ばかりを声高に唱えることが多くなり、非常識な社会が出現しているように思えます。

権利の主張をする前に、心地よく安心して暮らせる社会を作る為には何をなすべきかを、山笠を通じて考えさせられました。

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