変身願望 2005.9.5
童謡の「赤とんぼ」で“夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か”とありますが、私はずっと“追われていたのは“と思っていましたし、「ふるさと」では“ウサギ追いし かの山”を“ウサギ美味し かの山“と思って歌っていました。
赤とんぼは追いかけていましたし、ウサギは祖父がしょっちゅう鉄砲で野うさぎを取ってきて食べていましたので、ウサギは美味しいとしか浮かばないのです。
このように私たちは、小さい頃からの生活習慣や経験からくる、ある種の概念が自然に形成され、条件反射的に反応するようです。
男は黒や青色系、女は赤やピンク系の洋服に自然と目が行くのは、小さい頃から親から与えられる性別の色を自然に身につけた結果でしょうか?
しかし、このような自分の意思とは関係なく常識化された物事に対し、反感を持ちそれに反抗したいという気持ちは差こそあれ誰にでもあると思います。
今までの自分に決別し、新しい自分になりたいという変身願望は、ある意味で現実を逃避し空想の世界に一瞬でも身を置きたいというロマンの世界といえます。
整形手術や洋服、かつら等で外見的に変えることで一定の満足は得られますが、それだけで満足できず、他者を引きずりこんで変身願望を遂げようとすると事件になります。西村京太郎の「変身願望」は、人間のもつそのような欲望を小説にしたものです。
私が大学生の時に、女装して街中を歩く学園祭がありました。デパートの化粧品売り場で化粧をしてもらい、かつらを付けて、スカートをはきました。
鏡を見たときは、へどが出そうになりました。何という格好をしているのかとあきれます。恥ずかしくてとても歩く気分になりませんが、勇気を奮い起こし町に出ました。
何気なく通り過ぎる人が、すれ違ったとたん振り返ります。こちらも振り返ります。
そのときの相手の驚きが、無性に面白くなって調子に乗って歩いたことを思い出します。
変身とはまさに、自らの心の変化「変心」で完結するのではないかと気が付きました。
整形手術で顔がきれいになり、自分に自信を取り戻し、積極的になる「変心」は本人にとって幸せなことです。身なりを綺麗にし、町を歩くのは誰しも気分の良いものです。
舞台や、映画で現実の自分とは違う役を演じ、喝采を浴びることは、変身した役柄に対する評価で、役者冥利に尽きるのでしょう。
私たちも何らかの形で「変身」しています。素のままということはほとんどないといえます。サラリーマンとしての行動や言動もある種の「変身」ではないでしょうか?
日頃行っている「変身」に疲れ、本当の自分に戻りたい。そんなこともありますね。
「変身願望」は、現実の生き方を振り返り、本来の自分自身に素直になれるように「変心」し、日々を充実して過ごしたいという心の叫びなのです。
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