2010年7月20日火曜日

失うもの                

失うもの                2005.8.13


2005年の11月に発覚した、構造設計に問題のあるマンションやホテルを建設した施工主、施工業者、建築設計士及び監督機関などが互いの非を論い、自己の責任を逃れようとする各社・各人の模様がテレビなどで連日報道されました。

震度5程度で倒壊するような建物を建て、平然と暴利を貪ろうとする経営者や技術者のモラルはどこにあるのか。恐らく多くの視聴者は憤慨したに違いありません。

 中国では豆腐摩天楼を日本で建てたとビッグニュースになったとか。日本の技術や信頼は世界でも冠たるものがあり、その意味では日本の産業への醜聞でもあります。一生に一度の大きな買い物が、トンでもないまがい物で使い物にならない上、借金だけが残るという悲惨な状況は人ごととは思えません。

 施工主のヒューザーは、ヒューマンとユーザから来ているそうで、社名は大変素晴らしいと思いますが、企業理念や社会貢献に対する経営者の方針はどうだったのでしょうか。まさかヒューマニズムとユーザを食い物にして金持ちになろうと考えたのではないのかと疑わしくなります。

 アメリカ社会では事業の失敗には寛容で、むしろ失敗のノウハウを評価しチャレンジするチャンスを与えられることがあるそうですが、それはあくまで経営手腕や、人的ネットワークを評価されてのことであり、反社会的な思想や事業に対しては非常に厳しく、それ故に日々の活動や考え方に対し自らを律することが大切だと痛感します。

 覆水盆に帰らずといいますが、長年にわたり折角築いてきた名誉や財産を一瞬にして失うことがあります。

火事や、地震、倒産など様々です。物やお金はその後のがんばり次第で取り戻すことは可能ですが、命だけはどうにもなりませんね。逆に言えば命さえあれば挽回のチャンスは必ずあると信じ、懸命に生きるしかありません。



人生には多くの喜びやたくさんの贈り物がありますが、同時に多くのものも失うことを経験します。

祖父母、両親などとは恐らく悲しい別れを経験します。病気や事故などで妻や子供との別れもあります。私たちは幸せを求め、お金や名誉や信用を手に入れたいと考えるのですが、本当の幸福は一瞬にしかないのではないかもしれません。ところが、苦労して勝ち得た地位や名誉やお金を離したくないというように考えると、途端に幸せではなくなることがあります。スポーツなどにおいてもトップになると今度はそのトップの座を守ろうとしますが、トップの座を守ることほど難しく、厳しいものはないといわれます。

 また、お金持ちが金に固執し友人や、親戚縁者との関係を悪くしたり、挙句は相続問題で骨肉の争いが勃発することも稀ではありません。お金持ちだから幸せとは限りません。

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