2010年7月20日火曜日

退屈力

退屈力                    2006.8.20


文藝春秋7月号に、子供に「退屈力」をつけよ 明治大学教授 斎藤 孝 氏の記事が出ていた。退屈力とは何か非常に興味をもって読んだが、実に面白い発想なのでその一端をご紹介します。

 現在の日本社会は、退屈が極端に嫌がられる時代である。常に何か面白いことは無いか捜し求め、世の親は子供に退屈させるのは悪いことだと考えているのか、子供にもほとんど毎日塾やお稽古事に行かせる。退屈を嫌悪するそうした欲求に応えようと、退屈を紛らわせるための刺激が世に満ち溢れている。テレビは最大の退屈しのぎだが、製作側も視聴者を釘づけにしようと、刺激的な映像や言葉を乱射し続ける。またお手軽なパチンコもギャンブル性が強くなり、パチンコ依存症が大きな問題となっている。

 人間へ最も刺激のある薬物も、国会議員や自衛隊などにも及び戦後三度目の覚せい剤乱用期と言われている。また、ゲームソフトやインターネットもパソコンの前で長時間に渡り刺激を与え続けられる。

 人間が興奮すると、ドーパミンが脳内に分泌される。それが止まらない状態が続いて、ある臨界点を超えてしまうと、ドーパミンが出ないことに耐えられなくなってしまうという。これが依存症である。外からの刺激が多すぎると、自ら積極的に考えるという脳の働きを活性化できなくなる。その結果、粘り強さに欠け切れやすい子供が育つ。

「幼年時代の喜びは、主として、子供が多少の努力と創意工夫によって、自分の環境から引き出すようなものでなければならない」といっている。

日本の伝統の剣道や空手などは、最初は退屈極まりない「型」を繰り返し繰り返し練習する。単調な型を繰り返すことで、わずかな違いが見えてくる。「耐える心」と「とぎすます心」の二つを養ってくれる。

では子供の「退屈力」を養成するにはどうすべきか。禅の修業や、武道や伝統芸能に取り組むにはそれなりの環境が必要で、誰でも出来るわけではない。

日常の生活の中で、積極的に「退屈力」を鍛える方法がある。それは「勉強」だ。

「勉強が楽しくて仕方が無い」という子供はほとんどいない。だからこそ最適なのだ。

 医療少年院の精神科医は、少年少女たちの更正のため、外部の刺激を断ち切り、極めて単調な日常を繰り返し、退屈な日常をあえて彼らに課している。そして読み書き、特に「書く」という、自分で何かを生み出す作業を奨励しているといいます。

 子供は本来「退屈力」を持っている。幼児は何度も同じ絵本を読んで聞かせても飽きることは無い。むしろその度にすでに自分の知っている世界を確認しながら、そこに深く入っていくことが楽しいと感じている。現在は急激な変化の中でそれについていこうと浮き足立っている。しかし低刺激でややもすると単調な日々の繰り返しこそが「人生の本質」でありその退屈の中で自分に向き合う時間こそが大切ではないだろうか。

外部からの刺激を一方的に受けるのではなく、それをコントロールしつつ自分の中で徐々に培われていく感性は、これからの社会の中で、より価値の高いものになっていくだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿