2010年7月20日火曜日

三行半

三行半                   2007.6.18


6月は、花菖蒲、百合、桔梗など年間で最も多くの花が咲く季節です。

梅雨時の6月は、植物にとっては大変良い気候なのでしょうが、欧米で言われる

ジューンブライトは、日本ではあまり歓迎される時期ではない様に思います。

 6月の花の代表は何といっても紫陽花ではないでしょうか、色とりどりで華やかな

紫陽花は、桜にも似て短い命を精一杯生きているようにも見えます。特に雨上がりの

紫陽花はしっとりとしてふくよかな印象があり、心が和みます。

 若い頃、東京で仕事をしていた時は、休日に良く鎌倉に行きました。

鎌倉にはおよそ30のお寺やお墓があります。有名なところでは、建長寺、鶴岡八幡宮

鎌倉大仏などですが、花のお寺として有名なのが瑞泉寺で四季折々の花が楽しめます。

紫陽花寺として有名なのが、明月院です。本当に色とりどりの紫陽花がお寺一面に咲いており、今が見ごろです。

 鎌倉にはこのように歴史的にも有名なお寺が多くありますが、中でも「駆け込み寺」として名を馳せているお寺が、東慶寺です。

 江戸時代まで、妻の側から直接的に離縁を申し出ることが許されなかったことから、

結婚を継続する事がどうしてもできないという理由で、妻がこの東慶寺に逃げ込んだ

ことで、妻を匿い多くの女人を救済した歴史を持ちます。

 三行半(ミクダリハン)の由来は、江戸時代の契約書や結婚する時に妻の実家に出す

「嫁をもらいうける旨」の文章が7行だったため、離婚時にはそれが半分に分かれると

いう意味で3行半にしたということだそうです。

三行半の意味をネットで調べると次のように解説していました。

“三下り半の離縁状は、離別状、去状(さりじょう)、暇状(いとまじょう)、隙状(ひまじょう)などとも言われています。

 江戸時代に、庶民が離婚するときは、嫁入り・婿入りを問わず、必ず夫から妻へ交付することが要求された書面です。この書面を書かなければ、夫婦とも再婚することができませんでした。もし、これを書かないで、再婚した場合どうなったかと言いますと、江戸幕府より、男は所払(ところばらい)の刑に処せられ,女は髪をそり親元へ返されるのです。”

 江戸時代の男尊女卑の様子が良くわかりますね。現在はどちらかというと、女性のほうが色々な面で優位になることが多いようにも思われますが、皆さんのご家庭はどうでしょうか?

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