2010年7月20日火曜日

日本人とユダヤ人 

日本人とユダヤ人             2006.4.12


イザヤ・ベンダサンという日本在住のユダヤ人が、約30年前に「日本人とユダヤ人」という本を著し、大ベストセラーになりました。たまたま本屋で見つけたので懐かしさもあり、また最近では中東関連のニュースが流れないことがないくらい、アラブ人やユダヤ人が身近な存在になったと感じておりましたので、読み返してみました。

 その中で日本人は過去の歴史を通しても、世界でも稀な平和国家であるといっています。戦争と略奪の歴史を繰り返した、多くの国々から観れば日本の戦国時代などは、ほんの一瞬に出来事であり、歴史的に記述するほどもない程度だと述べています。

ユダヤ人のように国を追われ、国家というよりどころがなくなった浮浪の民が、第一に投資するのは安全であり第二に同胞との助け合いだといいます。ニューヨークで高級ホテルに宿泊し続けるのは、そこが最も安全な場所であるからで、決して贅沢をしているわけではなく、日々の生活は実に慎ましやかだと。また、同胞との助け合いは、誰からも保障されない安全と生活を得る手段であると。

 考えてみれば、もし日本人が国を追われ世界に散らばった民族になったとしたら、恐らくユダヤ人と同じような価値観や生活スタイルになっていたかも知れません。

ユダヤ人は人的ネットワークと頭の良さで世界中の経済の中枢を握るようになり、ドイツをはじめとした人種差別の対象となり、アウシュビッツなど不幸な歴史を刻んできました。イスラエル建国が決定した時、聖書に、「ある日空を飛ぶ乗り物に乗って、祖国へ帰る」とあり、2000年待ち望んだ日がようやく来たと、世界中のユダヤ人が粛々と飛行機に乗り込んだといいます。

 私達日本人が待つという概念は、2,3日とか2,3年というところでしょうが、彼らの待つは2000年でも構わないようです。

そこにあるのは神との契約を前提としており、神に対する全幅の信頼があるように思います。

 一方日本人の宗教観はどうかといえば、人間教と言っています。人は如何に生きるべきか、人間としてどのようにあるべきかを問うており、神仏には依存しない正に「人間教」で、その最たる人物として西郷南州を上げています。

 西郷は「敬天愛人」ということを次のように述べています。

・ 道は天地自然の物にして、人は之を行うものなれば、天を敬するを目的とする。

・ 天は人も我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以って人を愛するなり。

・ 人を相手にせず、天を相手にせよ。

・ 天を相手にして、己を尽して人物を咎めず。

・ 我が誠の足らざるを尋ぬべし。

日本人のアイデンティテーは、正にここにあると思います。忘れかけていた「如何に生きるべきか」を再認識した次第です。

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