2010年7月20日火曜日

個性

個性                   2005.8.13


日本は農業民族で、決められたことに忠実でみんなで取り組むという美徳を持っている。Japan as no.1 といわれる所以である。といわれたことがある。

日本は戦後、新日鉄、ソニーやトヨタなどをはじめとする世界に誇る製造業としての地位を築いてきた。

ところが最近は、東南アジアなどの人件費の安い国に製造業がシフトしはじめ、日本人としての利点が欠点となり始めているようにいわれる。

すなわち、日本人は個性が無く、人と同じことをし主張がない。従って斬新な考え方やアイデアが少なく、アメリカなどの狩猟国民族よりも新規性に乏しい。

この意見当たっているのだろうか?国別の特許登録件数は、日本が国内海外を合わせて21万件であるのに対し第2位のアメリカは19万件(平成13年)しかなく、日本は特許出願数においては欧米を圧倒しているといえます。

少なくともこれまでの日本は上記のような批判は当てはまらないと思うのですがいかがでしょうか。

私の友人の娘さんが、高校一年生からアメリカに単身留学し、数年前に大學まで卒業し帰国しました。その娘さんに一番驚いたことは何か聞きましたところ、最初に高校に行ったとき、黒人の生徒が数学の式で、等号の左にある値が右に移動したとき、その値の符号が逆転することが理解できないと、一時間に渡って質問していたことだそうです。

高校のレベルも問題ですが、それより日本人でそのような質問をしつこく聞く生徒はいるでしょうか。そのようなものだから覚えなさいで納得していないでしょうか。

これはアメリカ教育のあり方の一端をあらわしているようで、単に覚えさせるのではなく、なぜなのかを徹底的に追求することの意義を、重視しているように思います。

アメリカのLaw School では、お互いに立場を変えながら、Debate を繰り返し弁護士としての説得力や、論理性を身に付けさせるそうです。

そもそも教育は何のためにあるのでしょうか。本来その子供が社会に出たとき、ちゃんと生きていけるだけの、知識や経験を積ませることではないでしょうか。自然界の動物がある日突然子供を突き放し、生きることの厳しさを教えることと同じではないでしょうか。いわば将来起こるサバイバルをどうやって乗り切るかの知恵を授けることが教育ではないでしょうか。

人の能力は全て違います。日本に特進制度が無いのは、もっと勉強したいのにしなくていいよ、といっているようなものです。一番遅れている人に合わせて教育するのも変ですよね。喧嘩せず、仲良く、危ないことはせず、みんな一緒に遊んだり、勉強しましょうというのが、今の日本の教育の基本なのでしょうか。

これでは将来のサバイバルには勝てませんし、ましてやその中で育った“優秀“な子供達に日本の国の危機管理を任せられないでしょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿