戒名とお墓 2009.6.15
最近、実家でお墓を移転した。山の中の急斜面では年を取って墓参りするのに苦労するため、家の近くに移転させてきた。田舎とはいえ、墓となれば何処でも良いという訳にいかず、場所探しに何年もかかったようだ。
ところで、日本の仏教では死亡すると、お坊さんに頼めば戒名を付けてくれる。
そもそも、戒名とは何ぞやと思い調べてみた。
日本仏教は中国経由の仏教なので、お坊さんは最澄とか空海といった中国名だ。お坊さんが葬式を主導するようになったのは、室町ころでそれまではお坊さんは、葬式とは関係なかった。仏陀(お釈迦様)が修行していた時代のインドは、風葬か鳥葬で野に遺体をさらし骨になるのを待つか、鳥がついばむに任せるのが死者への礼で、現に沖縄では200年ほど前までは風葬の習わしがあったそうだ。
俗人が死んだら、これは僧になったということにして、中国名をつけた。それを戒名といった。高いお金を払い、中国人の名前をつけられて、それを戒名として喜んでいるのはお釈迦様の教えとは関係ない話で、どうも日本仏教からだまされているような気がすると、作家の司馬遼太郎氏はいっている。
「院」とか「殿」とかは院殿号といい、宗旨よってつけ方は異なるが、何とか院何とか、何とか大居士というのをつける。
室町や江戸の公家大名は、お金がある場合、自分で生前に一建立で寺院を造り、寺院の中に、何とか院という塔頭を造り、そこに自分の菩提を弔ってもらう。だから戒名に何とか院という自分が建てた寺の名前がつくのは当たり前の話だ。
例えば、銀閣寺(慈照寺)をつくった足利義政は、慈照院喜山道慶といった。
戒名というのは仏典には存在せず、日本だけの風俗で、江戸中期に町人、百姓が力を持ってきたとき、寺ではしきりにこれをすすめた。このため幕府は禁令を出し、百姓・町人でとくに由緒ある者以外は、院号、居士号、大姉号を付けることを禁止した。
現在はあらゆることが自由になり、多くの仏門の葬儀に戒名が付けられている。
また、仏教では本来霊魂を認めていない。仏説でも親鸞の教学でも霊魂という観念はない。霊魂がないとしたら、「阿弥陀経」を唱えて何がお浄土へ行くのか?
釈迦も儒教の始祖の孔子も、死については語らず、死後の世界も「未だ生を知らず。いずくんぞ死を知らん」と突き放している。
霊魂の祟りだとか尤もらしい話で、一儲けしている迷信産業は現在も流行っているが、お墓もそのひとつと考えられる。
幕末の英雄吉田松陰(寅次郎)の墓は、侘しい小さな墓でしかない。
霊園や墓石業者やお坊さんは、恐らく立派なお墓を薦めると思うが、真に受ける必要はない。立派なお墓だから成仏するとか、先祖が喜ぶというわけではない。
しかしながら、我が家では養子の父親が故に、それなりの墓を建てたいという気持ちも分からなくはない。法事やお彼岸の日などに、故人を思い縁故の人たちとの一時の団欒は、祖先が残してくれた「縁」であり、大切にすべきものかもしれない。
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