勿体ない 2006.6.20
私の生まれた1949年は、戦後間もない物資のまだ乏しい時代でした。
田舎にいた所為もあり、普通の食事には大きな問題はなかったのでしょうが、両親の話では、お乳があまりでず、私は早くからお粥のやわらかいものを食べていたようです。
そのためか、小さい頃から病気ばかりで両親が片道20キロの道を病院まで歩いて通ったといっていました。
6歳の時に妹が生まれ当時森永の粉ミルクを家で買ってあったので、こっそりと飲んでいました。粉を直接口に入れると、とろりとしてとても美味しかった記憶があります。後で知ったことですが、その粉ミルクは1955年に森永ヒ素ミルク事件として、食の安全性が問われる第一号事件になりました。
7人の大家族で育ったため、両親よりも祖父母や曾祖母の影響が大きかったようです。
食事の時にキチンと正座し、食べ残しをしないように躾けられました。「頂きます」や
「ご馳走様」は、生きていたものを食することへの感謝をすることだと教えられました。
物を大切にし、無駄にしないという習慣は、ほとんど物資がなかった時代の私たち祖先の知恵だったのだと思います。
ノーベル平和賞を受賞した、ケニアの環境副大臣のワンガリ・マータイ女史は、日本の新聞社(西日本新聞)の方から学んだ、日本の美徳の真髄とも言える言葉“もったいない”を世界に通じる環境標準語にしようとしています。
“もったいない”に変わる最適な訳語が、他国にはないようです。
漢字では“勿体ない”と書きますが、これは“物”から牛偏を除いた漢字で、“勿体ない”は物の本体をなくすこと という意味だそうです。
もったいないには、「良すぎる」とか「不経済」と言うだけに留まらず、「申し訳ない」
の心があり、それは何に対する申し訳なさかといえば、「お陰様」にたいするもので、お陰様とは、「他人の助力、援助」や「神仏の助け、加護」という意味だと思います。
お釈迦様は、この世で最大の殺生は何かとの問いに対し、「時を無駄にすることである」と説いたそうです。
時を無駄にするとはなんとも“勿体ない”。時は金なりではなく、“時は命なり”で
自ら時を大事にしないことは、自分自身への殺生であると。
自らの人生の夢・目標を達成するための時間は限られています。計画し実行しない限り、その夢を実現させることはできません。
日本には月、火といった「七曜」と先勝、大安といった「六曜」があります。
祖先はこうしたものから吉凶を占い、時を大切にする生活の知恵を編み出したのでしょう。
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