私が22歳で社会人となって、丁度40年が経ちました。
そして、今年4月には、新入社員を迎えました。
迎えられる立場から、迎える側になって21年が経ちました。
最近、友人から退職(退任)のご挨拶状をいただくことが多くなりました。
小中学校や、20代からお付き合いしている方も多く、一抹の寂しさを感じています。
命あるものすべて、年老いて寿命が来ます。命が輝く時間はほんの一瞬のようにも思います。
始皇帝は世界中から不老不死の薬を求めたようですが、そんなものは勿論ありません。
どれほどの大金を払っても、時間は買えません。
青春の輝きをその時は、自覚できません。振り返ってみたときに、初めてその輝きに気が付きます。
輝きは、青春の一時だけではありません。
サミュエル・ウルマンは、「青春の詩」で“青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ”と言っています。
人は皆、生まれたときから死に向かって、ばく進しています。
死ぬことは避けられない運命ですから、生きているうちに、悔いなく、思い切り、楽しく、ドキドキ、ワクワクする時間をたくさん持てた人は、幸せな人生だったと思えるのではないでしょうか?
今年3月11日は日本人の誰もが忘れられない、災害の日となりました。
未来ある人生が一瞬にして消えた幼児や子供たちがいます。妻や子、家族を失い生きる目標を失った人がいます。生活の基盤となる家や会社や農地を失った人がいます。
これからの生活の目途さえ立たない方が、十数万人に上っています。
幸いにして、私たちは災難から逃れ平穏な日々をおくれています。災難を受けた方々からすれば、幸福この上ない境遇です。しかしながら「人間万事塞翁が馬」のたとえ通り、運命のいたずらは、予測不可能です。油断はできません。
諸行無常の理からすれば、「時は命なり」ではないでしょうか。
今ある命、今ある時間を大切にして、悔いのない人生を送りたいものだと改めて思います。